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- 2011/03/29 死とは何か
死とは何か
2011/03/29 Tue. 00:03:18 edit
なぜかこんなテーマで記事を書いています。
まあ、自分の生まれた日、人生の始まった日
だからこそ、『死』というものについて、
自分の考えをまとめておきたいと思うのかもしれません。
まだ小学校に上がるか上がらない頃、
夜、寝床で死というものについて考えてしまい、
眠れなくなったことがありました。
人間は誰も、いずれは死ぬということ、
自分にも、いつか人生の終わりが訪れること、
自分の周りの好きな人たちも、いつか死という
形で、自分のもとを離れていってしまうこと。
考え始めると、『怖い』というよりも
無性に心細く、淋しい気持ちになってしまい、
まだ起きていた両親のところへ行って、
『人間ってなんで死ぬのかな?』
という質問をしたことを覚えています。
どういう返事をもらったかは、今では
はっきりと覚えてはいませんが、
当時の両親なりに、僕の不安をおさめようと、
『まだずっと先のことだから心配しなくてもいいよ』
といった内容のことを話してくれたように思います。
疑問が解消されたわけではないものの、
(解消される類の疑問ではないのでそれはそうですね)
不安はある程度解消され、それ以来、『死』というもの
について深く考えることなく、気づいてみれば大人に
なっていました。
そして、教育業界で働くようになり、数年前のこと、
授業を担当していた中学生の生徒から
『人間って死んだらどうなるのかな?』
と訊かれ、自然に出た返答が、
『TVを消すのと同じようなもんじゃないかな』
というものでした。
当時は、死んでしまうと、『自我』が完全に
無くなってしまい、『無』だけが残るという
死生観を持っていたように思います。
それからまた数年経ち、『引き寄せの法則』など
スピリチュアルな考えに出会い、『潜在意識』に
ついてもいろいろと勉強しました。
そこで、『魂の不滅』ということについて、
自分の中で確信めいたものが得られました。
少し前に読んだ、ブルース・リプトン博士の
『思考のすごい力』では、奇しくも僕が以前、
生徒に話したのと同じように、TVを使って
それが喩えられていました。
「思考」のすごい力/ブルース・リプトン

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TVの機械が肉体で、TVで流れている番組が
思考(精神)だとする。
TV番組は、TVのアンテナが放送電波を受信して
放映されるので、もし、TVが何かの事故などで
壊れてしまったとしても、番組は映らなくなって
しまうが、放送電波自体が失われるわけではない。
この放送電波がいわゆる、『魂』にあたるものだ、と。
『魂』という言葉を、より科学的に表現すると、
『潜在意識』になるのかもしれません。
人間の自覚している意識(顕在意識・自我)の奥に、
『潜在意識』という領域があるということは、心理学
で指摘されており、その奥深くでは他人の意識や、
自然そのものとつながっている、といったことも
言われています。
人間の『自我』というものは、そういった
意識の集合体とつながっている、大いなる意識
からの借り物に過ぎない、ということも言われます。
僕が勉強してきた範囲でのことですが、これは、
洋の東西を問わず、様々な宗教の思想の根幹に
ある世界観であり、心理学や、量子力学といった
現代科学でも次第に明らかになりつつある真理に見えます。
現代の科学では、『魂の不滅』というものを証明する
ことはできませんが、逆に『魂の不滅』を否定すること
を証明することもできないのです。
人が死んで、『自我』が無くなってしまったあと、
一体どうなってしまうのか、どんなことが起こるのか?
それは、この物質世界で今、『自我』を持って生きている
僕たちには、理解し得ないことなのかもしれません。
大切な人を亡くしてしまったとき、
人は誰しも大きな喪失感に苦しみます。
ですが、果たして『死』は、その人の存在を
すべて奪い去ってしまうものなのか?ということを
考えると、決してそうではないことに気づきます。
自分の心の中、思い出の中に残る大切な人の存在は、
その人の『死』によってさえ、奪われることはないのです。
複数の人の記憶の中に、思い出として存在が残ること、
これは、潜在意識が他人とつながっていることの、
一つの大きな証拠にも思えます。
記憶の中の人の存在は、『自我』が生み出した
幻想にすぎないのでしょうか?
決してそうとも言い切れないのではないでしょうか?
本人が亡くなったあとも、大切な人が心の中で
自分に語りかけてくることがあります。
その人の肉体や自我は無くなってしまっているとしても、
それだけで、その人のことを『生きていない』と
決めつけることはできないと、僕は思います。
これが『心の中で生き続ける』ということなんだと
思いますが、そのスケールの大きいものが、
イエス・キリストであり、ブッダなんじゃないでしょうか。
彼らの肉体や自我、精神は2000年以上も前に滅んで
しまっていますが、現代もなお、人々の心の中で
生き続け、人々の人生に大きな影響を与え続けているのです。
One day, you'll be just a memory for some people.
Do your best to be a good one.
(いつの日か、あなたは人々の思い出になる
良い思い出になるためにベストを尽くそう)
という言葉があります。
『死』というものは、誰にとっても例外なく訪れるもので、
それがいつ来るのか、それは誰にもわかりません。
いつ人生の終わりを迎えても大丈夫なように、
自分の大切な人たちの中の自分の存在を、
できるだけ輝かせること、それを常に意識すること。
それは『生きるために生きる』と表現できることです。
僕たちは『死』という終焉を迎えるために生きているのではなく、
自分の存在を大切な人たちの心の中、それだけでなく、いろんな
人々の心の中、この宇宙のいたるところに生かし続けるために、
今この瞬間、この人生を生きている、ということではないでしょうか?
Dream Theaterというバンドの
The Spirit Carries Onという曲の歌詞に
If I die tomorrow, I'd be alright
Because I believe that after we're gone,
the spirit carries on
(もし明日死んだとしても、僕は大丈夫
僕たちが行ってしまっても、魂は生き続けると信じてるから)
とあります。
この歌詞のように、もし、明日自分が死んでしまっても大丈夫、
と思えるように、毎日を精一杯生きていきたいと思いますね。
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