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- 2011/08/13 意識レベル500の壁
意識レベル500の壁
2011/08/13 Sat. 21:24:34 edit
日々の『気づき』や『学び』をメモしています。
もともとは、仕事のときのメモ用手帳だったり、
eワラントやFXのトレードノートだったりしたもの
ですが、いつの間にか、日常生活を送る中での
総合的な『気づき』ノートになってました。
これを読み返してみると、自分自身の心の動きが
よくわかり、前進や成長も実感できるのでお薦めです。
昨年後半から、今年の春先にかけて、
ちょうど『カルマの燃焼』を経験していた
頃の記録を読み返すと、なかなかに興味深いです。
いろいろな困難・苦悩を乗り越えるごとに、
自分の思考の枠が外れ、より抽象度の高い
考え方ができるようになっていく過程が見えます。
旧ブログも書き綴っていた時期です。
まだ、ブログの方ではそういうプライベートな
状況はあまり暴露していなかったのですが、
『気づき』ノートはその辺容赦がありません(笑)。
自我が苦しむ様が、読み返すと面白いくらいに
書き綴られてます。面白いとか言ったら、当時の
自分に怒られちゃいそうですけど。
大いなる負の連鎖、『カルマの燃焼』ですが、
その『底』に差し掛かる前に、ちょっとした
兆候はありました。
まず、自我の力でもがくのをやめ、
『底があるのなら覗いてみよう』
という気持ちになったこと。
これは、旧ブログにも記事にしていました。
逆境の中には種子がある
これが、『転換のプロセス』の一つの
きっかけにはなったのですが、実はこの
約1ヵ月後にとどめの一撃が来ました。
『気づき』ノートには、
『とどめの一撃が来た!
もう受け容れるしかない。何でも来い』
とか書いてますね(笑)。
いまでこそ笑えますが、手の震えを抑えて何とか
書き綴るくらいの精神的ダメージだったわけですが・・・
そこが転機となって、その直後から急に、
自我は幻想だとか、悟りがどうの、とか
『気づき』ノートの中でもそうですが、
日常生活の中でもそういう言葉が
目につき始めました。
で、またその約1ヵ月後の4月8日、
小林大三さんのブログで、時間の流れの
固定観念を砕くような『学び』に出会った
というわけです。
因果律からの脱却
ちなみに、4月8日というのは、お釈迦さまの
誕生日であり、小林大三さんの誕生日でもあります。
なにか意味のある符合なんですかね。
前置きがえらく長くなってしまいましたが、
ここからが本題です。
先日、『パワーか、フォースか』を
読み返していて、僕自身が体験した『目覚め』
というのが意識レベル500の壁を越えた
ことにあたるのだということに気づいたのです。
これは、ブッダやイエス・キリストと同レベルの
『悟りの境地』を経験したという、
デヴィッド・ホーキンズ博士の著書です。
この書籍では、キネシオロジーテスト、
筋肉反射テストと呼ばれる手法で、人間の
意識レベルをマップ化しています。
キネシオロジーテストについては説明を省きますね。
オカルトっぽくも見えますが、実証性のあるものです。

博士の意識のマップでは、意識レベル200のところと
500のところに壁があると述べています。
僕なりの解釈では、200前後は、
人間としての『良心』が前面に出るか
どうかの分岐点、500前後が、
『目覚め』の分岐点と見てます。
500レベルでは、他人の幸福が
不可欠な原動力となって現れます。
自分自身とほかの人間のスピリチュアルな
目覚めに関心を持つことが特徴です。
このレベルに達すると、物事の本質を
識別する能力が優れてきます。
理性を使わずとも、問題の全体性を
瞬時に認識する能力が生まれます。
それに加えて、特に時間とプロセスに対しての
とらえ方がそれ以下のレベルよりも大きく拡大します。
理性は細部だけを扱いますが、
『愛』は全体を扱います。
この能力は、よく直観に関係して
いるとみなされています。
『愛』は立場にとらわれないし、区別を
しないので、その結果グローバルに広がります。
どんなバリアもそこにはもはや存在しないので、
『他とひとつになる』ことが可能です。
したがって『愛』は包括的であり、自己に対する
意識が徐々に拡大していきます。
『愛』は生きることのすばらしさに焦点を
合わせて、ポジティブさを増大させます。
ネガティブなものを攻撃することよりも、
かえってそれをリセットすることによって溶かします。
さらっと目についた記述を引用してみましたが、
この4月以来、僕自身の中で経験してきた
内的な変化に思い当たることばかりで
びっくりしました。。。
これに加えて言うなら、
『感情にとらわれなくなる』
というのもありますね。
博士によると、世界人類の意識レベルの
平均は204、日本人の平均が400以上、
とのことなので、なるほど、結構そこかしこに
『目覚めている人』がいるというのもうなずけますね。
この場合の『覚醒』というのは、
500レベル以上の人、という意味です。
自我の生み出す感情の問題を、
自分で解決できる人たち、というわけですね。
スポーツやビジネス、芸能や芸術、いろいろな
分野で『成功』(金銭的な意味だけではなく)
している人の特徴にも当てはまりますね。
成功哲学や自己啓発、NLP、サイコサイバネティクス、
セルフコーチングといったものは、
『感情をコントロールする』ことを
追求するものなので、これはまさに、
『目覚め』へ到るためのプロセスと言えます。
『目覚め』『覚醒』というものに対し、
感情がなくなる、ものごとに完全に動じなくなる、
というイメージを持ってしまうと、超然としすぎて
自分のセルフイメージから遠く切り離されてしまいます。
『悟り』を求めると『悟り』が遠のく、
というのはそういうことなのかと思います。
まずは、『感情の観察者になる』ということを
意識してみるのがいいんじゃないでしょうか。
NLPでいう、ディソシエイトというテクニック
でもあるのですが、自分自身の問題、苦しみに対して、
『観察者になる』というフォーカスの変え方は重要です。
自分の立ち位置、スタンスをコントロールでき、
感情というものから自分を切り離すことができるのです。
意識のマップでは、500レベルの上にも
さらに上位の階層があることが示されています。
その辺りになると、『臨死体験』や何らかの
スピリチュアルな『啓示』を受けることが
引き金になるように思います。
僕がいま、『左脳系』でいられるのは、
まだ500に上がりたてホヤホヤだから
なのかもしれませんね。
600レベルにまでいくと、隠遁生活に入ったり
本気のスピリチュアルリーダーになってしまう
みたいなので。
僕自身、この先、どうなっていくのか
わからないし、わかりたいともあまり思わないので、
いまは、自分の直観にしたがって、自分の
好きなように世の中に関わっていきたいと思ってます。
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