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- 2011/10/13 真我の視点で世界を観る
真我の視点で世界を観る
2011/10/13 Thu. 23:05:42 edit
『真我』という言葉について
整理しておく必要があると思います。
なので、今回は、『真我』という
ものについて語っていきます。
旧ブログの頃から、
『神』・『宇宙の真理』・
『自然の摂理』・『無限の知性』
といった言葉で、こういう
この世界の根源的な存在
について語ることはありましたが、
僕自身の中で、実体験レベルで
この存在のことが腑に落ちたのは、
今年のG.W.明けくらいのことでした。
参考記事:an awakening 一つの覚醒
これがその直後に書いた記事です。
この時点で、世界:現実というものと、
自分の存在、そして『神』の存在が
イコールで結ばれ、同時に、
『必然』という言葉の意味、
思考が現実化することのしくみ、
といったことが、直観的・体感的
にわかるようになったのです。
文字通り、ここが一つの『覚醒』
の転機になった気がします。
これ以後、『自己(大いなる自己)』
という言葉や『真我』という言葉を
よく使うようになりました。
『真我』を自我の観点で表現すると、
この宇宙を生み出し、動かし続けている
(変化させ続けている)根源的なエネルギー
すべての『原因』となるもの
すべての生命の源
であり、同時に、
人間の意識構造の最深部に在るもの
と言えます。
ですが、これらの言葉では、
まったく不十分で、『真我』と
いうものの本質を『言葉』で表現
するのはかなり難しいと言えます。
なぜなら、『真我』といえば、
この宇宙に存在するすべてのもの
(それを考えている自我も真我と言える)
という意味にもなるからです。
これは真我のもつ
『完全性』を表しています。
これに対し、自我は、世界(現実:自然)
から自らを切り離すことで生み出されるもの
であり、こういう『分離意識』によって、
『完全性』を理解することは不可能だからです。
僕が到った『理解』も、文字通り
『腑に落ちた』
という直観的・体感的なもので、
僕自身も、言葉にしようと悩んでみても、
どうしてもうまく表現できない、
そういうもどかしさがあります。
ただ、自我が理解できないということが、
『真我の体感理解』
を難しいものにさせるかといえば、
そうでもない、と僕自身は思っています。
『真我の体感理解』
というのは、別の言葉を使えば、
『無我を経験する』
とも言えますが、さらにかみ砕くと、
『自然との一体感を経験する』
と表現できます。
これは特別なことではなく、
人間も自然の一部である、という、
本来、当たり前の前提を思い出すこと、
それに気づくこと、だと言えます。
自然界の他の動植物や、自我が芽生える前の
幼少期までの人間は、努力することなしに、
自然との一体化を経験しているのです。
生まれてから、幼少期までに経験すること
によってインプットされる『記憶情報』、
それらが寄り集まって執着し、
『観念』『信念体系』『個性』『性格』
というものが出来上がり、それらを
包括して『自我』と呼びます。
自我が形成されて、人間としての
自覚のある『記憶』が蓄積され
始めることを、
『物心がつく』
というわけですが、物心がついてから
以降は、『自我』という『記憶の執着』
に過ぎないものを、自分自身だと
錯覚して過ごすため、
自我ができた後に、本来の自分の存在、
大いなる自己の存在、『真我』という
ものに気づくのが難しくなります。
たとえるなら、人生というTVドラマを
観ているうちに、『自我』というキャラクター
に対して、感情移入し過ぎてしまう、
というような状態です。
ですが、『自我』の視点でこの世界を
観ることをやめ、『真我』の視点で
観察し始めると、見えなかったものが
見えるようになります。
『真我』とは、現実世界であり、
自然そのものでもあります。
その自然の中で、人の意識、自我と
いうものだけが異質な存在なのです。
世界の中でイレギュラーな存在である、
『自我』の視点でものごとを考えるから、
必要以上にややこしくなってしまう、
とも言えます。
この現実世界:自然から、
人の自我を取り払ってみれば、
すべてが自然の摂理に
そって変化し続けている
という、シンプルな構図が見えてきます。
僕がよく言う、
言葉や思考や感情ではなく、行動、
そして現実をあるがままに観察する、
というのも、真我の視点からの観察です。
人の意志、意識、思考、感情に関係なく、
ものごと、出来事はすべて起こるべくして
起こっているのに過ぎないのです。
それは、『大いなる計画』と表現できる
大きな流れであり、この宇宙を生み出し、
銀河系、そして太陽系を創りだし、
地球を、生命を、そして人類を生み出した、
大きなエネルギーの流れと同じものが、
この世の中を動かしているということです。
人類の歴史は、一見、おびただしい数の
個々の人間たちの意志が創り上げたように
見えますが、それもすべて自然の摂理に
そって流れているのに過ぎないのです。
それは、人間の細胞の一つひとつが、
分裂・新生したり、外部からの刺激に対して、
個々の意志があるかのように振る舞い
ながらも、全体として一つの『人間』と
いう生命現象を起こしているのに似ています。
人の意識、自我というものは、自然から
自らを切り離して『個』を認識します。
この『自我』が、人生に苦しみをもたらす
原因であると同時に、この自我によって、
人間は、他の動物には味わえないような、
高度な幸福感、至福の感情を受け取る
こともできるのです。
この『自我』こそが意識の進化の果てに、
人間だけに与えられた『贈り物』と言えます。
こういう『真我』というものを中心にした
世界観が、僕が語ることのベースとなります。
人生を送る上でのポイントは、
『真我』という存在の自覚
(これが『覚醒』と表現できます)
『真我』との調和
(これは人生における『成功』と言えます)
ということになります。
『真我』とは自然であり、
『真我の望み』とは『自然の摂理』。
つまり、この世界と調和して、
拡大・成長することが、自我に
とっての最善の道となるわけです。
したがって、
『真我の観点からの成功法則』
では、自我というものが、
この世界で唯一異質な存在で
あることを自覚しながら、
自我を真我:現実に調和させる、
ということがポイントになります。
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