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- 2011/12/16 ライフワークを考える
ライフワークを考える
2011/12/16 Fri. 21:53:03 edit
と聞くと、彼らは答えた。
第一の男は言った。
『これで生計を立てているのさ』
第二の男は手を休めずに言った。
『国で一番の石切の仕事をしているんだ』
第三の男は目を輝かせて言った。
『国で一番の大寺院を建てているんだ』
というたとえ話があります。
この、石切工のたとえ話は、数年前、
確かプレジデント誌で見かけて、
当時、今の会社で、新人社員向けの研修
を行うときに引用したことがあります。
僕が使ったものは、
少し違っていて、第三の男は、
『教会を建てているのさ』
と答えます。
この三人の男たちの答えから見えるもの、
第一の男がやっているのは『仕事』です。
食うための仕事、ライスワークと表現できますね。
食べていくために、これをやるしかない、
という『思い込み』で自分の生き方を
制限しているようなニュアンスがあります。
第二の男がやっているのは『師事』です。
職人気質な雰囲気もあります。
プライドを持って取り組むのはいいこと
ですが、ともすれば、『独りよがり』
『自己満足』に終わってしまう危険性があります。
第三の男を見てみましょう。
『国で一番の大寺院を建てているんだ』
という答えだと、明らかに三つの中で
もっとも優れているのが丸わかりですが、
さらっと、
『教会を建てているのさ』
という表現にすると、それが
ちょっと見えにくくなります。
実際に、僕が研修を行ったときに、
自分ならどういう取り組み方をするか、
と参加者に問いかけたところ、
第三の男よりも、第二の男を選ぶ人
の方が少し多かったりしました。
第三の男が持っているのは、
『他人の視点』、そして、
全体の中での役割(機能)を果たす、
という視点です。
仕事の評価は、自分が決めるものではなく、
他人に求められるもの、他人の視点を
抜きにしては、自己満足になってしまう、
という教訓について、話しました。
当時の僕は、その程度の認識でしたが、
いま、改めて考えると、もっといろいろな
ものが観えてくることに気づきます。
自分の向き合っている仕事が、
『教会を建てる』という、
機能を果たしているのなら、
それが国一番の大寺院であろうと、
町の小さな教会であろうと、
誰かの役に立つという意味では
変わらないということ。
スケールの小さい(とマインドが思う)
仕事であっても、『役割』『機能』と
いうものを意識した仕事であるなら、
それは尊いことに変わりはない、と思います。
まあ、その上で僕は、できるだけ
大きなスケールの『機能』を果たしたい、
と考えるわけですが。
そして、第二の男と第三の男の視点の違いは、
夢・願望・目標という言葉と、
『ビジョン』『使命』『志』という言葉
との違いも意味することになります。
夢・願望・目標という言葉は、普通、
自我(エゴ・マインド)レベル
の言葉としてとらえられます。
それに対し、
『ビジョン』『使命』『志』
という言葉は、
世界と自分との『関係性』を抜きに
考えることのできない概念です。
『自我』というものは、それ自体で
定義することは不可能で、世界との
関係性(縁起)があって初めて定義されます。
自分というものがどういう人なのか、
それは、自分以外のものを使ってでしか、
表現することができないのです。
自分というものは、この宇宙の
『自分以外のもの』との関わりなし
に存在することはできません。
その関係性の中で果たす役割(機能)こそが、
『使命』という言葉で表現できるものなのです。
多くの現代人の、『仕事観』は、
社会通念や常識から創られた
『思い込み』によって歪められています。
仕事とプライベート、という区別も、
意味のないどころか、害のある刷り込みです。
本来の『仕事』とは、
『生き方』であり、『在り方』なのです。
たとえば、スティーブ・ジョブスは、
アップル社の経営者であった時代と、
そうでなかった時代で、別の
『仕事』をしていたのでしょうか?
彼自身の中では、恐らく区別はなかったはずです。
ただ、彼は、彼が置かれている状況の中で、
彼にできるベストのことをやっていたに
過ぎないはずです。
オバマ大統領は、大統領になる前と
なった後で、仕事に対するスタンス
を変えたでしょうか?
彼も彼なりに、その時々の彼のスケール
に応じて、少しでも自分の関わる社会を
良くしたい、という『志』のもとに、
バラク・オバマという存在を
全うしているだけだと思います。
こういう偉大な人たちに並べて、自分の
ことを語るのは、僕の自我的に、ちょっと
気が引けるところもありますが、
僕自身も同じです。
もうすぐ、社会的な認知度のある立場の
『サラリーマン』という肩書きがなくなりますが、
社会と、この世界とどう向き合っていくのか?
という根本の部分はまったく
変わらないと思います。
自分本位・自己満足の『願望』と、
直感や衝動をもたらす『志』は
よく誤解されます。
僕が今いる教育業界には、
『(自称)子ども好き』、
という人がたくさんいます。
でも、よく観察するとそこには
『師事』と『志事』の違いが見えてきます。
『師事』と『志事』の
違いは何に現れるのか?
答えはいたってシンプルで、
『現実』『結果』だと言えます。
昔は、『結果』だけで判断することに
心理的な抵抗がありましたが、
『現実は例外なく思考によって創られる』
ということがわかった今なら確信を持てます。
では、『結果』の出ていない人は、
本人がどれだけ頑張っていてもダメなのか?
ということですが、それは、
その人の視点(在り方)を変えるか、
環境を変えるか、
のどちらかで、容易に変えられる
ことだと言えます。
『結果』が出ないのは、
『機能』自体を勘違いしているのか、
『機能』を果たすべき場所にいないのか、
のどちらかでしかないのです。
『機能』を知るというのは、
僕がよく繰り返す、『自分の軸を知る』
ということでもありますが、
『仕事』という観点でとらえるなら、
他人の評価、他人の声を聴く、
ということがポイントになります。
こう書くと誤解もされやすいので、
少し言い方を変えると
『自分がやりたいことを把握した上で、
人が自分に求めることを知る』
というニュアンスですね。
『機能』を知った上で、今いる環境が
それを発揮できる場所でないと感じるなら、
それは環境を変えるべきだ、ということです。
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