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Libertyze (リバタイズ) 〜進化した自己啓発メソッド〜

ブログタイトルの”Libertyze”(リバタイズ)とは、自由(Liberty)と『〜化する』『〜にする』という意味の接尾語(-ize)を組み合わせた造語です。このブログでは、進化した自由人であるLibertarist(リバタリスト)になるためのメソッドをお伝えしていきます。

2012年04月の記事一覧

GWはアクティブに♪


数日前にFacebookでも書きましたが、
昨年は連休前に、

『これまで自分が生きてきた世界とは違う世界に
 生きる人と会って、自分の世界を広げよう』



という、一つの『決意』をして、その結果、
僕の人生は大きく変わりました。


今の僕は、一年前の僕が見たらうらやむような、
自由と充実感、幸福を現実のものとしています。


それも、たった一つの小さな『決意』から
生まれたものなんです。



自分が経験したからこそ、自信を持って言えます。


あなたの現実も、あなたのほんの小さな
『決意』によって、いともカンタンに変わります。



あなたは、どんな『決意』をしますか??



昨年のGWと5月はいろんなセミナーに出たり、
新しいことを始めたりして、充実してました。


今年はもっと充実させるぞ~♪
新しいことも企画中です^ー^


とりあえず、明日の予定が楽しみです。
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欲しいものは求めてはならない

今回も、最近のコメントのやり取りから
生まれてきたネタをテーマに語ってみます。


以前、こんな記事を書きました。


参考記事:まずは求めることから始めよう



欲望、欲求に関しては、日本人の国民性
ということを抜きにしても、世間では
誤解のされやすいところです。


スピリチュアルな知識をつけた人は、
特に、欲望・欲求というものを
否定してしまいがちです。



大切なのは、言葉というのは表現のための
ツールであって、そのツールに踊らされては
ならない、ということです。



人が言葉を使うとき、言葉そのものに
目を奪われてはならない、ということなのです。



この記事のタイトルにしても、言葉の表面を見れば、
以前書いた記事と矛盾するように感じるかもしれません。

まあ、あえて確信犯的につけたタイトルなんですけどね。
僕がこの記事で何を伝えたいのかは、読み進めて
頂けばわかって頂けるかと思います。




欲望・欲求と、同じ言葉を使っていても、

それを現実のものとする人と、
それに翻弄される人とでは、

その言葉の向こうに見ている景色は違うのです。



シンプルに言えば、欲望・欲求に翻弄される人たち
は、潜在意識内に、その対象との分離があり、

現実化する人たちは、潜在意識内で、
その対象と調和しているのです。



『欠乏感』から生まれる欲望・欲求なのか、
純粋な指向性としての欲望・欲求なのか、ということです。


指向性とは、視点を向ける方向性、
人は欲望・欲求という『動機』があるからこそ、
自分の軸という人生の中での指針を設定できるのです。



言葉はツールだと語りました。


なので、言葉をうまく使うことによって、
自分の思考や感情、そして行動をうまく
調えていくこともできます。


自由・豊かさ・幸せ・成功・愛・悟り etc.


人が人生の中で求めるものは様々ですが、
本質的に言えば、上に挙げた言葉で表現
できるようなものなのではないでしょうか?



何か欲しいものがあるとき、
本当に、それを現実のものとしたいなら、

『求める』という言葉を使ってはならないのです。



『求める』という言葉、これは、

『自分はそれを持っていない』

という意味に翻訳されて、あなたの潜在意識に届きます。



自由が欲しい、

お金が欲しい、

幸せになりたい、

愛されたい、愛したい、

悟りたい、



これらは、すべて、その対象を遠ざける、
ある意味『呪い』のような言葉です。



人に何かを伝える、という場面で使う言葉もそうですが、
自分の意志を表現する、というときに使う言葉、

むしろ、こちらの方がはるかに取り扱いに
十分注意して、敏感になる必要があります。



大事なのは、その言葉が、どういう意味に
翻訳されて自分の潜在意識に届くか
、です。



『求める』という言葉には、
その対象と自分との分離が意味づけられています。


そして、自分自身の手でそれをつかむのではなく、
自分以外の何かによって与えられるのを待つような、
受け身の姿勢といったニュアンスも持っています。



『求める』という言葉は、言霊的に言えば、
自分自身の創造の力を弱める効果があると言えます。



欲しいものがあるのなら、『求める』のではなく、

『それを手にすると決める』必要があるのです。



『決意』という言葉を使ってもいいでしょう。
この言葉については、以前も語ったことがあります。


参考記事:決意とは思考を決めることではない



決意とは、思考や行動を決めるのではなく、

『望む現実を手にすることを決める』ということです。



顕在意識の思考(マインド)のレベルで
何かを決めるのではなく、

潜在意識に届くレベルでコミットすること、
つまり、『覚悟』を決めるということです。



心の中でしっかりとコミットすることによって、
望む現実を手にするにふさわしい『在り方』
セルフイメージを創るということなのです。



ショーウィンドウの外から『あれが欲しい』
と眺めるのではなく、


『それを買うことのできる自分』になって、
店内に入ってお金(対価)を支払い、

『それを手にした自分』を現実のものとするのです。



現実的である、とはそういうことです。



最初に必要なのは、『欲しい』という欲求、
そして、それを手にするという現実を選ぶ勇気。


『覚悟』とは何かを手にするためのプロセスなのです。




新約聖書で有名な、

『求めよ、さらば与えられん』


という言葉がありますが、あれは、実のところ、

『与えよ、さらば与えられん』


と言い換えた方が、本質に近づけると思ってます。



最初に『欲しい』と思うことは大事ですが、
それを手に入れるという覚悟があるから、

自らの『与える』という主体的な行動によって、
エネルギーの循環を起こせるのです。


そういう意味では、『引き寄せ』という
言葉もあまりよくないことがわかりますね。


引き寄せること、吸い込むこと、
自分がもらうことから何かが始まるわけではないのです。


まず最初に、自分から与えることによって、
世界に循環が起こり、結果的に何かを得ることになるのです。




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