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- 2012/10/03 おとぎ話のワナ
おとぎ話のワナ
2012/10/03 Wed. 16:53:46 edit
『心が平穏であれば、現実はどうあれ幸せなんだ』
『貧しくても、心は豊かだ』
『平凡だけど幸せな日常がいつまでも続く』
それこそ、『おとぎ話』の中のハッピーエンド、
『そして彼らはいつまでも幸せに暮らしました』
というイメージの世界です。
ですが、現実的に考えて、
こんなことが本当に起こりうるのか?
しっかり考えてみる必要があります。
現実とは、『心の投影』なので、
望まない現実の中にいる時点で、心は平穏ではない、
ということが言えます。
つまり、現実から目をそらした状態で、
心の平穏はあり得ないということです。
また、心とお金もつながっています。
現実的に、経済的に貧しい状況にあって、
望むものが手に入らないのなら、
心も、本当の意味で『豊かさ』を知っていないということです。
人格者が人格者でいられるのは、自分自身の
基本的な欲求、マズローの欲求段階説でいえば、
下位にあるものが満たされていることが条件となります。
衣食住が満ち足りて、自分や家族の生活の
安全が保障されており、信頼できる
コミュニティの一員となっており、
またそこである程度の認知を得ていること、
生理的欲求・安全欲求・親和欲求・自我欲求が
満たされていることで、初めて自己実現の
欲求に従うことができるのです。
『清貧』という価値観は、美しくもありますが、
もろく、危ういものであることは否定できません。
どうせなら、『豊かで幸せな人格者』であることを
目指すべきだと思うのは僕だけでしょうか??
平凡で代わり映えのない日常を過ごしていれば、
心は、自然な作用として『執着』を生み出します。
変化流転する現実世界の中では、
『変わらぬ幸せ』という言葉自体が
矛盾をはらんでいることにも気づきます。
平凡であることを続けるということは、
未来において起こりうるリスクに備える、
ということを放棄することにもつながります。
現実世界では、未来に起こることを正確に
予測できる者など、誰一人存在しません。
何か突発的なことが起こったときに対応できる、
精神面の成熟、幅広い知識、頼りになる人脈、
豊富な経済的資源、、、
こういったものを貯え、有事にも『幸せ』を
壊さずに継続させられる能力を磨くことは、
『平凡』という言葉からは、
ほど遠い日常を過ごすことを意味します。
人々の願望が生み出した妄想に過ぎない、
『おとぎ話』を、真剣に受けとめて
しまってはいけないのです。
『平凡』『ささやかな幸せ』という言葉のウラに潜む、
向上心や好奇心のない生き方、
これは、本当の意味での『幸せ』ではなく、
人生を単なる『消化試合』に変えてしまう
『甘い毒』だと言えるのです。
変化は必ず訪れます。
あなた自身や大切な家族が、事故や病苦に遭うかもしれません。
突然、職を失ってしまうかもしれません。
慎ましく、ささやかに生きていたら、
その『変化』が起こったとき、対応できるのでしょうか??
スピリチュアル的に言えば、
『起こることを受け容れる』
という言葉がありますが、これは、
ものごとを『受け身的に受け容れる』
という意味ではありません。
それは、単なる『責任放棄』です。
自ら変化して、その結果を受け容れるのです。
それが、人生の責任を引き受けるということです。
この記事内では、あえて多少キツい表現もしてます。
読んで反発を感じる方もいるかも知れませんが、
それでも、改めて今の自分の『日常』を省みる
きっかけにしてもらえれば、と思いますね。
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