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Libertyze (リバタイズ) 〜進化した自己啓発メソッド〜

ブログタイトルの”Libertyze”(リバタイズ)とは、自由(Liberty)と『〜化する』『〜にする』という意味の接尾語(-ize)を組み合わせた造語です。このブログでは、進化した自由人であるLibertarist(リバタリスト)になるためのメソッドをお伝えしていきます。

2014年08月の記事一覧

生温かく見守れる人になろう

【サトリ通信】より抜粋
【サトリ通信】は僕のメール講座受講生だけに配信されます)


少し前に、こういうメールを受け取りました。


〜以下転載〜

いつも拝見しております。

一つ質問なのですが、

私はカウンセラーを目指して学習中です。
サトリさんのお話も大切に捉えています。

理念と仕組みさえあれば人は育つとありました。
大人になってからのメンタルブロックの為に
サトリさんは試行錯誤の末
今のように大成されたのだと思います。

ただカウンセラーは大人になってから
所謂障害に向き合うことになるのですが、
理念、仕組みの時点で、
良い躾を受けられずに大人になり
ブロックと言うよりも箍が外れていて
問題を抱える方が多いと思います。

正しく生きてきて、抑えつけで
メンタルブロックがあり通用する方には
基礎があるので伝わることもあるのですが

前置きで常識が無いと
また、ある程度の学習基礎が無いと
なかなか言語で読み解きサポート出来ません。

インナーチャイルドは幼い内に
大脳に記憶されるとのことです。

育つにしても受け皿として
その時期に問題を抱えた(言い方は悪いですが)弱者に
諭す方法が無いと私は弱いです。

サトリさんの仰るメンタルブロックのある人間は
「普通」が対象だと感じています。

サトリさんは、この上に書いた弱者へのサポートには
どのようなアプローチをお考えになりますか?
参考にお聞かせ願えると助かります。

〜転載ここまで〜



要約すると、『弱者』というか、

マイナスの状態にある人に対して、
僕はどういうアプローチをするのか?



というご質問ですね。



僕の発信を普段から受け取ってる方は、
答えずとも予想はつくかと思いますが、

僕は基本的なスタンスとして、
今は、

『マイナスの状態にある人』

とは直接関わるようなことはせず、


『ゼロ以上から、プラスに向かおうとする人』

のサポートをするような活動をメインにしてます。



僕は会社員として教育の仕事をしてた頃から、
基本的に自分のことを、

『先生(Teacher)』でもなく、
『カウンセラー』でもなく、

『コーチ』、もしくは
『リーダー』だと認識して行動してます。



『先生』は相手に何かを付け加えようとする人、
『カウンセラー』は、マイナスの人をゼロに持っていく人、

『コーチ』はゼロ以上の人をさらに引き伸ばす人、
『リーダー』は、他人に道を示す人、

という認識です。



僕の発信を受け取る人の中には、

未だフワフワとした地に足のつかない
考えに囚われている人もいれば、

自分を責めるクセのある人、
マイナス思考、ネガティブ志向に囚われ、
なかなか前を向けない人もいますが、


そういう人たちに対する僕のスタンスは、
一貫して、

『生温かく見守る』です。



冷たく見捨てるのでもなく、
暑苦しく関わるのでもなく、

『生温かく見守る』です。


言葉のニュアンスを、しっかり吟味してみてくださいね。



僕は、社会の公益なんて言う、自分から
かけ離れた臨場感のないことは考えません。


ただ、自分と関わりのある人たちの利益を
満たすと同時に、自分自身のエゴを満たす
ために情報発信活動をしてます。


自分でハードルを乗り越えて、動くこと、
『行動すること』にコミットできた人だけと、

密に接するためにコミュニティを用意し、
そこに加入してきた人たちと、がっつり深く関わること。


それが僕のエゴを満たすことであると同時に、
僕が生きる世界の中で、僕の果たせる『機能』
最大化するような活動だと思ってます。



僕が積極的に関わりたいと思わない人

(マイナス状態にある人や、
 僕が投げるきっかけに反応しない人たち)

と関わる時間を増やせば、
それだけ、

僕が本当に関わりたいと思う人たちと、
大切にすべき人たちと関わるための時間がなくなり、


僕が社会の中で果たせる『機能』も小さくなります。


もちろん、僕の人生に対する
『満足度』も下がります。



だから、僕は、冷静に自分と世界の関係を俯瞰し、
『僕のやるべきこと』に集中するようにしてます。



僕のメルマガ、【サトリ通信】は今のところ、
読者数が15000人を超えたところですが、


その中で、僕が『積極的に関わりたいと思わない人』
言い換えると、

『僕の投げかけに自分の意志で反応できない人』

は、割合的にみて、多分6〜8割ほどいます。


人数にして9000人〜12000人です。



反対に、僕の投げたきっかけに反応し、
何らかの行動をとってくれた人は、

全体で1000人ほど、
もっと濃い関わりをする人は、

その中でせいぜい数百人です。



僕がいくら打っても響かない1万人と、
僕を信じて行動してくれている数百人、

どちらを大事にすべきなのか?


僕はそういう、とても重要な
『選択』を誤るようなことはしません。



こう書くと、冷たい意見のように
聞こえるかもしれませんが、

僕はそういった、

『ハードルの前で立ち止まる人たち』に対して、
何もしていないワケではありませんよね??


毎朝、何があってもブログ記事は更新するし、
(ときどき寝坊して更新が遅れるのはご愛嬌w)

Facebookなどでも、毎日の新たな発見、
気づきなどをシェアしています。


無料ではないレベル・クオリティの
無料レクチャーも数本、配信してます。


この【サトリ通信】にしても、毎回、
有料で配信するコンテンツと比べて
手を抜くようなこともなく、

文字通り、魂、言霊、エネルギーを込めて
書き綴って、無償で配信しています。



『きっかけ』は数えきれないくらい投げてるんです。

でも、その『きっかけ』を受け取って、
自分のハードルを乗り越えるのは、


『その人自身』なんです。



そのハードルは、自分にしか乗り越えられないものです。



行動したいと思いながら、行動できなくて
悩んでいる人がいることも知ってます。


でも、その人が行動できないのは、
『行動したくない』と思ってるんだから、

しょうがないんです。


その事実にヘコんでも意味はありません。



『そうなんだ』と受け容れるしかないですよね?

ヘコんでも現実は1mmも動かないんだから。



僕には、というか、誰でもそうですが、

本人がやりたくないことを、ムリヤリ気分を
持ち上げてやらせることなんて不可能です。



スイッチを入れるのは『自分』なんです。



僕がその人の人生の中で果たせる役割は、
『きっかけを投げること』だけです。



でもね、

その人が『本気』で変えたいと思ったなら、
絶対に、自分で行動をとるはずなんです。



道を歩いていて、向こうの方から車が
猛スピードで突っ込んできたら、

考える前に身体が動いて避けるでしょ??



『このままじゃ危ない
 どうしようかな?』


なんて考えないですよね??


ウダウダ考えてる時点で、
動かなくていい言い訳を探してる、ってことで、

それは、その人の本心では、

『変わりたくない。動きたくない』

って思ってる証拠なんです。



と言って、それが悪いこと、
って意味じゃないんです。



その人は今、そういう段階にいるってこと。


それ以上でもそれ以下でもないんです。


今はまだ、そのタイミングじゃない。
だから動いてない。



本当のことは自分が知っているから、
動くべきタイミングが来れば動くんです。


動かなくてそのまま終わる人生も
あるかもしれませんが、それはそれで、

その人が望んでいる人生だ、ってことです。

(この部分は、ブロックを感じる人も多い
 考え方かもしれません。

 今の時点で感情的に納得する必要はないと思います。
 
 僕も最初から、メール越しにニュアンスが完全に
 伝わると思ってないし、誤解する人もいる、

 ってことは承知の上、書いてます)



まずは、現状動けていないのなら、
動きたくない自分を認めて、

それを受け容れればイイ、ということです。


『そうか、自分は今、動きたくないんだな』と。



動く時が来たなら、勝手に身体が動きます。
動きたくなるんです。


人生における『成功』を、
僕は、『自分の自由を貫くこと』

と考えています。


動きたいときに動くのは、
『自由』であり、『成功』だと言えますよね。


同様に、動きたくないときに動かないのは、

あなたにとって、
『自由』の表現であり、『成功』なんです。



自分の意志を体現できている自分に対し、
卑下する必要なんてない、ってことです。



動くか動かないか、
行動するか行動できないか、なんてのは、

理屈じゃないんです。



動けない人は、単に『渇き』が足りないだけです。


ハングリー精神と言ってもいいし、

自分の意志を発現して、望み通りの
現実を創造することに対する、

『渇望』が足りてないだけ、とも言えます。



そういう『渇望』とか『煩悩』こそが、
人間が人間であることの証だし、

人生を彩るスパイスだと言えます。


『渇望』『煩悩』って言葉に
ネガティブなものを感じるのなら、

『希望』『期待』『願望』『夢』みたいな
言葉に置き換えてもらってもOKです。



自分が動けないことに対して、
自分を責めてしまう人が多いですが、

責めるんじゃなく、そういう状態にある自分を、
『認めて受け容れる』ってことなんです。



自分を責めるのは、理想の自分と
現実の自分が乖離していて、そのギャップから
生まれた『ストレス』のエネルギーの
矛先が自分に向いてるからです。


理想の自分を、
ホントの自分だとカン違いしてるんです。


目を覚ましましょう。


動けない方の自分が、
情けなく思える自分こそが、

ホントの自分なんです。


そこを認めなきゃ始まりません。



でも、ホントは情けなくなんてないんですよ。

人間だったら当たり前の心の作用で、
そうなっているだけなんです。


パソコンで、アプリケーションの
アイコンをダブルクリックすれば、

そのアプリが立ち上がりますよね?


それと同じで、あなたの心というプログラムが、
入力された刺激に反応して、

『情けない気持ち』とか
『自分を責めたくなる気持ち』とか
『認めたくない気持ち』とか、


そういう感情のプログラムを走らせてるだけのことです。



大事なのは、自分を客観的に俯瞰して観察し、
どういうプログラムが立ち上がった状態なのか、

それを冷静に理解することです。


そういう自己認識ができたときが、
ホントの『スタート』になるんです。
 
 
 
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