あなたは無我を知っている
2011/08/28 Sun. 00:03:06 edit
今回は『無我』というものについて、
できるだけわかりやすく語ってみます。
前回記事 無我を体験する。いのちを体感する
『覚醒』『目覚め』に関する記事
創造者であること
目覚めると何が変わるのか
前回記事で、『覚醒』『目覚め』とは
どこかにたどり着くこと
ではなく、
すでにある当たり前に気づくこと
だと語りました。
『覚醒』とは、
『現実をあるがままに認識すること』
であり、言葉を変えていくと、
自我が幻想だと知ること
無我を知ること
真我・大いなる自己(セルフ:全体性としての自分)
に気づくこと
Oneness(ワンネス)を体験すること
など、いろいろな表現がありますが、
これは言葉は違えど、その背景的には
同じことを表しています。
『悟り』や『覚醒』を求める人は、
自我がすべての苦しみを生み出す根源
だと知り、だから、その自我を無くして
しまい、いろいろな苦しみから解放されたい、
ということが動機になります。
ですが、『無我』というものは、そうした、
『自分がまだ覚醒していない』
と考える人であっても、日常的に
体験していることなのです。
それは、『目覚め』や『気づき』であって、
『探求』や『創造』ではないのです。
『すでに在るものに気づく』
ということです。
ただ、わかっている人、気づいた人なら
ともかく、まだ気づいていない人にとっては、
小難しい禅問答や、煙に巻かれたような
印象を受けてしまうことも確かです。
『無我』とはいったいどういう境地なのか??
そのヒントは、『無我夢中』という言葉にあります。
実践心理学であるNLP(神経言語プログラミング)に、
焦点化の原則
というものがあります。
脳(自我)というものは、
同時に二役をこなすことはできない、
という原則です。
たとえば、あなたが、何か考えごとを
しながら街を歩いているところを
思い浮かべてみましょう。
意識しないと気づかないことですが、
動物の中でも人間やそれに準ずる
高等動物にしかできない『二足歩行』
というものは、実は、動物の行動
としては、非常に高度なものです。
世界のトップ技術を誇るような企業が
何年も研究開発を続けて、未だ二足歩行の
ロボットがしっかり実用化に至っていない
ことからもわかります。
どういうタイミングで足を出すのか、
上手くバランスを取るための重心の移動、
どういうバランスで力をかけるのか、
頭脳に求められる情報処理のレベルで言えば、
たとえば、東大に合格するのに必要な勉強など、
比較にならないような高度な情報処理が
そこでは行われています。
あなたは、自分が歩く時にそういう
高度な情報処理を行っていることを
自覚し、意識していますか?
その『奇跡』に気づいていますか??
このような、日常的に行う、
『無意識』による行動、
『習慣づけられた行動』、
さらに言えば、あなたといういのちを
この世界に存続させている『生命活動』、
これらの行動の主体はまぎれもなく
『無我』なのです。
前回記事で、
『純粋ないのちを疑似体験する』
と語りましたが、
疑似体験するまでもなく、あなたは
日常的に『無我』を体験しているのです。
蟻が巣穴へ帰ろうと歩き回ること、
魚が水の中を泳ぎ回ること、
鳥が大空を飛ぶこと、
赤ん坊が声を上げて泣くこと。
それらの行動との間に違いはありません。
これが日常的に体験している
『無我』の正体です。
もしあなたが、『無我』というものについて
詳しく知りたくて、そのことを意識しながら
歩いてみたとしましょう。
その瞬間に、その『歩く』という行動の
主体は『無我』から『自我』に切り替わります。
『無我』を知ろうとすればするほど、
逆に『無我』から遠ざかることになるのです。
もう一つ例をあげてみましょう。
あなたが自分の『感情』を、思いっきり
味わっている場面を思い浮かべてください。
本当に心の底から大笑いするとき、
あなたの自我は『笑い』そのものになります。
そこに余計なものは一切なくなるのです。
悲しみ、そのものを体験するとき、
自我はその感情と同化します。
苦しみであっても同じです。
わかりますか??
もし、悩みや苦しみを抱えたとき、
その感情と同化することを恐れ、
それに抵抗すると、自我には感情以外
のことを体験する『すき間』ができます。
その『すき間』で余計なことを考え始め、
悩みや苦しみをふくらませるような思考を
次々と生み出していきます。
あなたは、その思考がもたらす新たな感情と
同化することにも恐れを抱き、抵抗し、
また自我の中に余計な『すき間』を生み出すのです。
前回記事で紹介したように、
感情を鎮めるために役立ついろいろな
クリアリングメソッドがあります。
感情から離れて『観察者』になるのが
有効なこともあれば、逆に感情の中に
飛び込んでみて、同化し、味わいつくす
ということが有効なこともあります。
ポイントは『視点』のコントロールです。
『視点』の切り替えは、思考の枠を外すとき、
抽象度を上げるときにも役立ちますが、
感情というものと付き合う上でも効果的なのです。
『視点』をうまく切り替えるだけで、
自我は自然に調ってくれるようになります。
ただ、前述したように、視点を
『無我』に向けても無我にはなれません。
『無我にたどり着こう』と考えて
『瞑想』するのは間違いなのです。
瞑想とは、どこかへたどり着くこと、
何かを得ること、そういう『意図』を
もっておこなうものではなく、
ゼロになるためにおこなうものです。
あなたがもし、悲しみに出会ったなら、
思い切り泣けばいいのです。
楽しいことがあれば、心の底から
大笑いすること。
腹が立ったのなら、何かの行動に変えて
誤魔化そうとせず、ただ怒りを味わってみる。
苦しみや悩みにも抵抗せず、自分をすべて
差し出してやればいいのです。
あなたの存在を脅かす(ように見える)のは、
苦しみ、悩み、悲しみといった感情ではなく、
あなた自身の自我が生み出す思考です。
だからといって、自我のことを
うとましく思ってはなりません。
自我というものもまた、あなたそのものなのです。
大切なのはしくみを知ること。
そして、受け容れ、許容し、ただ味わうことです。
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コメント
1. ありがとうございます。
ブログをご一読くださり、ありがとうございます。
仕事が書く仕事ですから、さらにブログを書くのは、右手に負担になり、辛いのですが、こうしてコメントを頂けると、「もう少し続けるか」という気になります。
神秘体験は、お持ちですか。神秘体験だから、よいとは言えませんが、やはり、唯物論を克服するには、意味がある体験と言っていいでしょう。私には、いろいろレベルはありますが、過去、衝撃的なものが2,3あります。それも、悟りと同じで、求めすぎると、ダメです。
2. ■真夜中でしたが、
思わず読み進めてしまいました。
内容に、頭の奥のほうですごい喜々としながら…
理性では奥深さに目をみはりながら…
↑みたいな感じになること自体、このお話を根本から体解するのはまだまだかもしれませんが、
何か大きくひらめいた気がしました。
もっとはっきりわかる時が来ると思うので、定期的に読み返したい記事です。
記事に込められたエネルギーから悟りへ近づそうな気で拝読してます^^ 更新、楽しみにしています。
3. Re:ありがとうございます。
>林田明大さん
こちらこそ、コメントをどうもありがとうございます^-^
常識や科学で説明のつかないこと、という意味での
神秘体験はいくつかありますね。
ただ、神秘体験って体験した人とそうでない人、
そういうものに抵抗がある人との間で、ある種の
障壁になってしまうことろもあるので、今のところは
前面には出していませんね。
4. Re:■真夜中でしたが、
>∞みんなファン∞ さん
コメントありがとうございます^-^
そういった反応を聞かせて頂けると本当にうれしいです。
僕も、他の人が書いたブログ、文章を読みながら
思考の枠を一つひとつ越えていった末に、真理に
たどり着いたので、そういうきっかけの一つに
なれれば幸いです^-^
5. わかりやすいです♪
こんにちは!
先日から記事を読ませていただいて、
とてもすんなり納得でき、わかりやすいです。
知識として知っていることと、体験としてわかっていることには
大きな違いがあるのでしょうけど、
こうして言葉で納得することで意識の向け方が変わる気がします。
ジムで身体を鍛えるときに
呼吸と筋肉の細胞に意識を集中するのですが
、
瞑想はそのときに似ているなぁ、と感じました。
普段、あまりにも当たり前すぎて気づかない部分に目を向けること、
だとしたら、誰にでもその可能性はあるのですね。
6. Re:わかりやすいです♪
>水のように生きる Leafさん
コメントをどうもありがとうございます^-^
知識としての理解、体験としての理解、本当に
腑に落ちるのは体験の方ですが、前もって知って
おくことは意味のあることだと思います。
Leafさんのおっしゃるとおり、呼吸や細胞などの
生体活動に意識を集中する瞑想というのもあります。
瞑想って本来自由なものだと思うんですよね。
自分に合った方法で楽しみながら学んでいくのが
一番だと思ってます^-^
7. 無題
己の欲するものは既に在る。
それは日常の当たり前の中にあります。
自他の境界線もなくなれば、全てのモノは既にあります。
最近ですが、気付きました。
そんなものでした。
いつも、ありがとうございます。
8. はじめまして
このブログに出会えたきっかけを感謝します
ちょうど、自我や無我が私の中でテーマでした
ゆっくり記事を読ませてもらいます
9. 無題
要は自分自身を誤魔化さずに素直に生きると言うことですね。
10. Re:無題
>十文字(samurajo)さん
コメントありがとうございます^-^
そう、もしかすると、『創造』という言葉
ですらないのかもしれません。
『創る』よりも『見つける』『光をあてる』
というニュアンスなのかもしれませんね。
無限のリソースを意識するということです。
11. Re:はじめまして
>ya-coさん
素敵なコメントをありがとうございます^-^
これも一つのご縁だと思います。
どうぞよろしくお願いしますね。
12. Re:無題
>THE DOBUNEZUMlさん
コメントありがとうございます^-^
自分の心の声に素直に、誠実に、ということですね。
心の声というと自我にフォーカスしてしまいがちですが、
無意識の声の現れである現実にも敏感になる、ということです。
感情を味わい尽くす
ここに来て初めて、その真意が飲み込めて来ました。
有難うございます。
2015/09/01 20:54 * edit *
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