言葉という魔法
2011/09/13 Tue. 23:32:31 edit
とは、聖書のことばです。
創造のプロセスの基点となる、
『質問』を創るのも言葉です。
『言葉』とは、人が生み出したものの中でも、
もっとも便利なツールの一つではないでしょうか。
人の頭の中に存在する記憶・イメージ、
それを他人と直接やりとりすることはできません。
ですが、『言葉という記号』を使えば、
他人と共有することができるのです。
コミュニケーションにおける、一つの革命です。
ただ、『言葉』は万能ではありません。
『言葉』を介してやりとりするとき、
お互いに見えるのは『言葉』のみであって、
『言葉』を使った者、受けた者が、
その言葉にどういうイメージを象徴させたのか、
『言葉』の奥に潜む目には見えないイメージ、
それを洞察することは、容易ではありません。
ですが、多くの人は、『言葉というツール』の
便利さに目を奪われ、そのことを忘れがちです。
人は、『言葉』そのものを理解しているだけで、
実際、その『言葉』が示している『イメージ』
のことはきちんと理解できていない、という
ことは、頭の中に留めておく必要があります。
たとえば、『理解する』という言葉の意味が
わからない、という人はあまりいないでしょう。
ですが、『理解する』とはどういう現象なのか?
そのこと自体に対する理解は、人によって
大きく違うということです。
『言葉』を使う上で大切なことは、
『受け手にわかる言葉を使う』
ということです。
『受け手』とは、自分と相手、両方を指します。
自分が理解できない(実態がイメージできない)
言葉を使わないというのは当然のことです。
自分が理解できないものを、相手に
理解させることなどできるはずもありません。
相手が理解できていないのなら、
『伝わっていない』ということです。
理解できない限り、現実は何も変わらないため、
これでは何のために言葉を使っているのかわかりません。
次に、『相手にわかる言葉』ということですが、
ここを意識できている人は、
意外に少ないように思えます。
情報化社会ということもあり、情報を発信、
アウトプットする人は多いのですが、
ありがちなのが、『自分が使いたい言葉』
を使っている、ということです。
自分だけが理解できる言葉を使って
いても、相手には理解されません。
同じ『言葉』でも、それを観たときに、
どういう記憶・イメージとつながるのかは、
人によって違うのです。
だからこそ、『相手を理解する』、
『理解してから理解される』という
ことが大切なのです。
『人を理解する』というのは、
その人が使う言葉を理解すること
でもあります。
この場合の『言葉』は広義のものとして、
解釈を広げておく必要があるでしょう。
つまり、『行動』もその人の意志が
込められた一つの言葉であり、
その結果である『現実』も、
観察する対象となります。
また、『言葉』とは目に見えるもの
だけをいうのではありません。
言葉の選び方・使い方を注意深く観察すれば、
その人の深いところまで知ることができます。
こうしたことを行っていく際に、
『情報』は多い方がいいのですが、
指向性のない情報は混乱の種となります。
指向性とは、すなわちルールであり、本質です。
『本質を知る』ということは、秩序のない、
カオス(混沌)の中から、見えていない
ルールを拾い上げるということです。
『本質を知る』ためには、自分の潜在意識の
ライブラリに貯えられた情報に、新たな視点
を持ち込む、ということを繰り返すしかありません。
これが『自分の頭で考える』ということです。
新しい知識をインプットし、それを
新たな視点・切り口の引き出しとして使い、
(このことを和佐大輔さんは
『脳内のアウトプット』と呼んでました)
それを繰り返すことによって、自分の
潜在意識のライブラリを、価値ある学びの
宝庫と変えていくのです。
心を新鮮に保ち、自分が創った過去の解釈を
何度も壊し続けるうちに、雑多なカオスの中から、
今まで見えなかったルールが見えてくるのです。
自己変革を飽きることなく繰り返せる者だけが、
『本質』というものにたどり着けるのです。
自ら変革を起こす者もいれば、状況によって、
変革するしかなかった者もいるでしょう。
そこまでたどり着けたとき、『言葉』は
単なるツールではなく、『魔法のツール』
となるのです。
言葉という魔法、その恩恵を受けるためには、
『本質を知ること』すなわち、
自ら変化し続ける『破壊者』であることが
必要だということですね。
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コメント
1. 今晩わ
最近まさにこの『言葉』のやり取りで悩まされました。自分が相手の言葉を理解してなくて、自分の使いたい言葉を使った為に言い争い的な物が生じてしまいました。目に見えない相手だけに難しいしですね。教えられました!ありがとうございます☆
2. Re:今晩わ
>THE DOBUNEZUMlさん
コメントどうもありがとうございます^-^
当たり前だけど見過ごしがちなことなんですよね。
言葉の解釈のミスリーディングには気をつけたいですね。
3. 言霊
言い古された「言霊(ことだま)」ですが、言語は記号ではなく、音声はただの意志伝達手段ではなく、「神への祈りの手段」として生まれたと考えた時、その中に神聖なるパワーが宿ると思うのは当然かもしれません。
「言葉」を「言霊」として意識しておくと、相手を傷つける言葉の「負のエネルギー」は自分へ戻ってくると感じたり、相手を励ます言葉の「正のエネルギー」はどんどん広がって強いパワーになって行く事を感じます。
「言霊のパワー」を信じるかどうかよりも、
そう思うことで自分の言葉選びがていねいになると感じています。
4. 無題
その言葉の持つ意味は一つであっても、人の数だけその言葉の持つイメージがあって解釈があるのだと思います。
私は、ついつい自分の観念や感情をくっつけて相手の言葉を受け取ってしまいます。そうすると自分の世界だけの見方になってしまいます。
自分のそういったものを外して
ただ聞く。そうするとシンプルに相手の伝えたいことが入ってきます。
まず言葉を読む。言葉の意味を知る。それから相手の声を聞く。
たまに、相手の声だけを聞いていて相手が言葉を使って話していることを忘れて何か『音』『動き』だけを見ている自分がいます(笑)
5. 無題
過去や未来に生きている時の
言葉って空虚で本質からずれてきちゃう
気がします。
常に変化し続ける「破壊者」でいる時、
言い換えれば
今ここに生きている時の言葉は
本質とピタリ符号しますね。
2011/09/14 09:34 * edit *
6. 私の課題
私のなかで言葉に対して、
とてもコンプレックスがあります。
直接、会うのには問題ないのですが、
(言葉以外にも伝えられるので)
文章となると、てんで苦手です。
ただ、もっと相手を理解し、
深くコミュニケーション出来るように、
自分自身を変えていこうと思いました。
ありがとうございます。
7. Re:言霊
>manaさん
コメントどうもありがとうございます^-^
本文では書きもらしましたが、仰るとおり、
『言霊』としてどういうものを込めるのか、
という意志・意図が大事ですよね。
そこに意識が向けられると、言葉選び、言葉遣い
が変わってきますね。
8. Re:無題
>kayoさん
コメントどうもありがとうございます^-^
そう、ここでも自分の解釈や評価がフィルターになって
邪魔しちゃうんですよね。
kayoさんのように、言葉をスルーしつつ、非言語の
部分に意識を向けるというのも、ときには大事ですよね^-^
9. Re:無題
>カズさん
コメントをどうもありがとうございます^-^
『破壊者』であるということは、いま目の前にある
現実に対してはたらきかけようという意志を明確に
打ち出す、ということなのかな、と思います。
『いまここ』の現実に目を向けていないと、
自分の言葉じゃなくなって、伝わる力が弱まる
ように思います。
カズさんのコメントを読んで、自分の記憶・経験
の中にちょっとリンクするものが得られました。
ありがとうございます^-^
10. Re:私の課題
>美容業界初心者マークさん
コメントどうもありがとうございます^-^
コミュニケーションとしての文章力を鍛えるには、
文章でコミュニケーションする機会を増やす、と
いうのが一番だと思いますね。
僕自身、文で何かを伝える力というのは、
学生時代のレポートなんかじゃなく、インターネット
で知り合った友達と、毎日のようにメールで
コミュニケーションしてたことで身についたと
思ってます。
相手はどんな人で、どういう言葉遣いで、
どういう考え方の人なのかな?
どういう言葉を使えば喜んでくれるのかな?
という純粋な興味。
結局コミュニケーションを楽しもうって、気持ちが
原点だったのかな、と思ってます^-^
11. 無題
破壊的
改革者でいたいネ
自ら殻を破って
変化するだけじゃなく
周りを巻き込んでゆく
集団心理を動かすにも影響与えるのも、言葉は必要な魔法。それには
魂の入った
生きた言葉を使う
生きた言葉てのは
生きてきた中から
生み出された言葉だから
理解されにくくもあるね。
その人の言葉の中の
『生』にフォーカスすると
本質は見えやすくなると思う
あ、ちなみに
携帯から見ると
クリックのリンクが
消えてますおさんw(゚o゚)w
12. 無題
一度に伝えようとすると伝わらないあれこれ。
多くの情報を言葉にしがち。
回りくどい、本質が隠れてしまうあれこれ。
シンプルにすると情報が欠落。
聞き手のお話に成りますが、言葉を感じる、言葉だけでなく表情その他もろもろ全てが情報と捉えるしか無い事に最近気付きました。
言葉のククリは考えて居るよりも広義だった。
話し手に関しては、理解してもらいたい思いを言葉に乗せる。
思い切り乗せる。
これは言霊の範疇かもしれません。
さもありなん。
目を瞑りこう唱える言霊。
自身(自神)の中では受容、許容を生み出します。
それは思いを乗せるあれこれ。
言葉とは、現世の捉え方よりもより広義で、話し手と聞き手の双方のあれこれで成り立つものと考えた方が良いのかもしれません。
いつも、ありがとうございます。
13. Re:無題
>観音-カノン-Spiritual Coordinatorさん
いつもコメントをありがとうございます^-^
言葉にはその人の生き方が込められますよね。
言語っていうのは左脳の担当って言われますが、
論理的思考が左脳ってだけで、言葉というのは、
『論理』だけで語られるものではないと思ってます。
まあでも、右脳的とか言いながら観音さんの
文章には論理がピシっと通ってますよね。
携帯リンクのご指摘どうもです^-^
でも、どうすれば直るのかわからないので
とりあえず放置しときます(笑)
14. Re:無題
>十文字(samurajo)さん
いつもコメントをありがとうございます^-^
そうですね。
言葉って発する者と受ける者が両方いてこそ
意味を成すものだと思います。
言葉の扱いについて『自覚』していることは、
生きることにおいて大切な要素だと感じますね。
15. 無題
>Yoshi@左脳系スピリチュアリストさん
多分、右脳ちゃんが
ヘタレな左脳をフルカバー
するくらい発達してるねん(笑)
後で携帯専用URL
送りますね(^^)v
16. Re:無題
>観音-カノン-Spiritual Coordinatorさん
CT撮ったら右だけめっちゃ大きくなってるかも、ですね(笑)
どうもありがとうございます^-^
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