心を共有する
2011/10/07 Fri. 23:35:35 edit
文章表現が中心のメディアです。
もちろん、更新ペースやメッセージ、
コメントへの対応、記事テーマのまとめ方、
など細かい行動レベルの表現というのも
ありますが、中心となるのは文章です。
カタチに残るものということもあるし、
表現手段が『言葉』関係のことに
限られているため、
僕自身は、
その時々に感じたことを素直に出す
自分の意見・考えをはっきり述べる
ということを意識しています。
ですが、リアルでの対面コミュニケーション
では、また話が変わってきます。
僕は昔から、対面コミュニケーションよりも、
文章でのコミュニケーションの方が、
自分では得意だと思ってきたのですが、
最近は、より表現手段を広く駆使できる、
対面のコミュニケーションに面白みを
感じるようになってきました。
リアルで人と接するときに意識しているのは、
相手と意見が違っていても否定しない、
相手が、自分の信念と異なる言葉を
使っていても、考え方が180度
違う方向を向いていると感じても、
必ず相手の意見を受け容れる、
ということです。
コミュニケーションにおいて、
もっとも大事なのが『ラポール』
(心の架け橋、要は信頼関係のこと)
を築くことだからです。
自分自身が、コミュニケーションを
人に指導するようになってから、
最優先で伝えるようにしていることです。
余談ですが、『左脳』、つまり
翻訳能力を鍛えるには、人に
指導するのが一番ですね。
僕が『左脳系』なのは、長年教育
の仕事をしてきたこと、いろんな
年齢・立場の人を指導してきたこと、
仕事を通じて、いろんなマニュアルを
作成してきたこと、そういう数々の
アウトプットで鍛えられたからだと、
今ちょっと思い当たりました。
人間関係において、言葉の占める割合
はごくわずかでしかありません。
コミュニケーション能力を身につけたい、
磨きたい、というとき、『言葉』の遣い方に
フォーカスしてしまう人がほとんどです。
コミュニケーションの目的は、『相互理解』、
言葉を換えると『心の共有』です。
心、感情を共有するのに、言葉の果たせる
役割は、あまり大きなものではないのです。
言葉というものにフォーカスしてしまうと、
コミュニケーションの目的を見失いがちです。
反対意見を否定し、議論に勝ったところで、
得られるのは自我レベルの満足、という
小さな『快』でしかありません。
それと引き換えに失うのは『相手の信頼』
という、とてつもなく大きなものです。
分断思考に支配されて、勝ち負けの
パラダイムの中にいては、相手の心
には永遠に届かないのです。
心を共有すること、つまり、
『相手の心とつながること』で得られる
『快』は、レベルもスケールも大きく違います。
コミュニケーションで足を引っ張るのは、
過去の記憶・観念から来る『決めつけ』です。
これは、『評価』『判断』『解釈』をする、
ということで、
『自我のもつ本質的な習性』
と言えます。
自我の存在理由は、『個の確立』、
つまり『自』と『他』の分離です。
世界:現実から、本来は自然の
一部である自分の存在を切り離すこと。
ものごとの『違い』『差異』を強調し、
世界の『多様性』を創り出すことです。
この性質があるため、自我はほうっておくと、
どんどん『分断思考』を生み出して
しまう存在なのです。
コミュニケーション研修で、ロールプレイング
などをすると、普段、人の話を聴くときに、
自分がいかに『聞き耳』をもって、
相手の『言葉』をあるがままに、ではなく、
自分の聞きたいように色をつけて
聞いているのかがよくわかります。
人の話を聴きながら、心を『いまここ』
に置ける人は少ないのです。
人間の聞くスピードは、話すスピード
よりも早いので、相手が話すのを聞いている
うちに、心は勝手なことを考え始めます。
相手の言いたいことを、勝手に
自我のフィルターで『決めつけ』て、
話の落としどころを、自分の都合の
いいように設定しようとします。
人間の『認識能力』は驚異的なもの
なので、そういう気配は、言葉を
超えて相手に伝わります。
心を『いまここ』に置いて話を聴く、とは、
反対意見であっても、どれだけ理屈が
通ってなくても、感情的に納得できなくても、
相手に同調し、相手の心と一体化する、
ということです。
僕は、人の話を聴くときは、常にこれを
意識するようにしています。
いつも、こう在ることは難しいのですが、
話を聴きながら、『決めつけ』をして
しまっていることに気づいたら、すぐに
心を『いまここ』に戻すことに集中します。
相手の心に寄り添えば、
なぜ相手がそういう意見を持つに到ったか、
その背景にあるものが、アタマではなく
ココロでわかってくるのです。
理屈のレベルではなく、感情のレベルで
相手を理解する、ということです。
これは別に、僕に特別な能力があるわけでは
なく、人間であれば、誰にでも備わっている
『共感能力』によるものです。
観念のフィルターを外せば、
誰にでもできることです。
その上で、相手の考えを変えたい、
考えが変わった方が相手のためになる、
と感じたとしても、それを言葉で
そのまま伝える、というのは、たくさん
ある中の、一つの手段に過ぎません。
相手に何かを伝えたいとき、僕は、
『言葉』ではなく『行動』『結果』
つまり、『現実』で示す、
ということを心がけます。
いくらコミュニケーションで『言葉』の
役割は小さいといっても、多くの人は
『言葉』にフォーカスをあててしまうので、
使う言葉はあくまで相手に寄り添ったもの、
その一方で、相手が自分で気づくように
根回しをしていきます。
他の人を動かして、本人が気づかざるを
得ないような『状況(現実)』を創る。
相手が見えないところ、見ていない
ところで、フォローを入れる。
僕自身がどう思っているか、
どう意図しているか、
は伝わる必要もない、と思っています。
それがもし、相手の現実を変えるのに
役立つならそうするだけで、
必要なければどうでもいいのです。
コミュニケーションの目的が、
『自我レベルの満足』ではない、と
本気で思っているからそう考えられるのです。
これは、数十人規模の人間関係を
細かく調整する職場経験をもって
きた中で学んできたことです。
人間関係というものほど、
目に見えている言葉の世界と、
実質の世界がかけ離れていることもない、
という認識は大事だと言えます。
大切なのは『解釈』ではなく『現実』なのです。
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コメント
1. 無題
とても感銘します^^
人生は 学ぶことばかりですね。
困難なことに遭遇した時は特に燃えます!
2. 体験したことです
初めてロールプレイングなどをやるといかに自分がその人のことを聞いていないか、自分のフレームで決めつけて、自分の考えばっかり、解釈ばっかりふくらまして、聞くどころか話を自分でつくっていたことに気づいて愕然としたものです。それでそのときは相手の感情に意識をフォーカスして波長を合わせて行く、オウム返ししながら話についていってみるというのをアドバイスされました。確かに「聞く」よりも考えてしまっている。推理してしまっている。そうじゃない。まず相手にあずけるようにして、感性を開いて相手に寄り添うようについてゆく。それは聞いていなければできないことですからね。
感性を開かず、相手に波長をあわせず、コンタクトができていないままに思考すれば、あらぬ暴走をして当たり前ですよね。
ぎゃくに相手と気を合わせることができていれば、考える必要がない。答えは問う先に与えられてしまう。
まあ、これも習うより慣れろですかねえ。
3. Re:無題
>アクア澪月晃(MITSUKO)さん
コメントどうもありがとうございます^-^
困難に燃える!
そのスタンスはとても大事ですし
素晴らしいと思います^-^
4. Re:体験したことです
>孔徳秋水さん
コメントどうもありがとうございます^-^
相談なんかの場合、相手って、自分の中では
答えを持ってたりするんですよね。
だから、ただ聴いているだけで勝手に解決
してくれたりもします。
とにかく聴いてみよう、相手の理解を先に
考えよう、って決意・覚悟・コミットメントを
自分の中でしっかりする、ってことなんだと思います。
まあ、僕も『聴きモード』に入ってないと
しゃべりすぎちゃったりするんですけどね。
信頼関係が出来た人相手だと、このブログの
長文っぷりが霞むくらいにしゃべっちゃいます(笑)
5. 無題
全肯定しろ、 と おそわりました。
6. 無題
心の共有のあれこれ。
相手様の意見は全てご教授を含む。
そう思っています。
齟齬のプロセス、検証のプロセス、受容のプロセスを経て自身モノに成る。
モノになった後は、さも自分の意見の様に話をする勝手な魂です。。。
その連続です。
多様性、違う意見、違う見かたのあれこれ。
それがあるから現生は楽しいです。
あ、検証のプロセス。
鵜呑みはいけないので、サニワが必要になります。
サニワは正知からのあれこれです。
いつも、ありがとうございます。
7. 無題
人の話を聞くことも本を読むことも何かを見ることも自分の中の知っている情報、過去の経験に基づいたものと照らし合わせて聞いたり、読んだり、見たりしているうちは決して在りのままを知ることはできないですね。
聞くということについて、
とっても大切なことを親友から気づかせてもらいました。『ただ聞いてほしいの、それだけなの』と言われて初めて私ちゃんと話しを聞くことができていなかった、と。
そして相手と自分の関係の中で素直になればなるほど、信頼感が強くなればなるほど
言葉を超えた自我レベルではないコミュニケーションがとれるようになり
意識と意識の繋がり、
魂同士でコミュニケーションがとれるようになるのだと実感しました!
8. Re:無題
>chizさん
コメントどうもありがとうございます^-^
とりあえず受容・許容ですよね!
9. Re:無題
>十文字(samurajo)さん
コメントどうもありがとうございます^-^
他人あっての自分、全体性あっての個性なんですよね。
コミュニケーションって楽しいです。
10. Re:無題
>kayoさん
コメントどうもありがとうございます^-^
かみ合うときって、感情の共有、コミュニケーションを
とる状況・タイミングなど、言葉以外の部分が占める
要素が大きいですよね。
言葉も大事ではありますが、それだけではないんですよね^-^
11. ハートのシンクロニシティ
いつもありがとうございます。
私は日常の中でも、傾聴という事を大切にしています。
ハートのシンクロニシティを通しての出会いを大切にしています。
傾聴することで起こっている事は、お互いを共有しているように感じています。
話している人は、ご自分の話していることをもう一度ご自分の耳で聴いています。話している時、内側では沢山の事が起こっている事に気づくかもしれませんね。
そして聞いている私はただ聴いいています。
私の内側でも沢山の事が起こります。
ハートのスペースは、判断する事なく、拒絶する事なく、期待する事がありません。
お互いが、「いまここ」ですね。
12. Re:ハートのシンクロニシティ
>あみ@バランスアーティストさん
コメントどうもありがとうございます^-^
まさしく『傾聴』ですね!
『心の共有』って片方が相手の心に同調
することで容易にできるものなんですよね。
話し手は、話したい、という自我レベルの欲求
に引っ張られてるので、聴き手が意識して
同調すれば、空間・心を共有できるんですよね。
まさにお互いが『いまここ』です^-^
13. 聞き上手
今年6月から手相の仕事始めました。あなたと同じく今年から異常な悟りを感じている今日この頃です。今までの自分と全く変化した自分がいます。今までは、いつも自分中心のしゃべりでしたが、仕事柄聞き役に徹しざるを得ません。お客様の多くは、質問、解説、そしてついでに最終的に話しながらすっきりした様子で答えを出して帰られます。私は、聴くだけです。
また、手相を始める前、就職したばかりの会社を首になった私に2人の友達は、全く別の意見。1人は、あなたが悪い。反省しなさいと。もう1人は、会社があなたに合わなかっただけ。手相を始めるきっかけになった良い経験と言ってました。人の意見を黙って聞けることができた自分に驚きました。意見しなくて良かったと。
14. Re:聞き上手
>手相のみつまめ さん
コメントどうもありがとうございます^-^
コミュニケーションによって人は磨かれますよね。
僕自身も、人との接し方、人間関係にフォーカスを
あてていたからこそ、いろいろな『学び』を得られたと
思っています。
それはきっと、神や真理といったものが、
人の心の中にあるからなんでしょうね^-^
15. ありがとうございます
とても深いお話でした。訪問できてよかったです
ペタありがとうございます。
16. Re:ありがとうございます
>ひなたぼっこの☆イルカさん
コメントどうもありがとうございます^-^
響いて頂けたようでよかったです。
ついでにこちらでも『おめでとうございます!』
とお伝えしておきます^-^
17. こんにちは
ご指導の経験が多いので
とても
わかりやすく、面白い内容です。
また、楽しみにしております。
18. Re:こんにちは
>korinoyaさん
コメントどうもありがとうございます^-^
アウトプットの習慣って、要は『慣れ』ですね。
やってれば誰でも身につくことだと思います。
慣れた後に出てくるのは『個性』であって、
『優劣』ではないんですよね^-^
19. こんばんは(^^)
ペタからやってきました♪
とても共感するお話です。
ただ、ありのままに、そのままにお話を聞くということ、とても大切ですが、これを常時キープするには訓練が必要ですね(笑)
でも、同じ風に黙って聞いている状況でも、こちらが「先を想像して」聞いているか、「現在に集中して」聞いているかということは、相手に通じるものだと感じました。
私の場合は、相談されたわけでもなんでもなく、日常の一コマ、彼のする将棋の話でしたが(^^)
20. 実存=関係の関係
コメント読んでいたら、また書いてみたくなりました。
「ことばでなく、関係にフォーカス」ということで、
そういえば「実存は、関係のなかの関係の関係」というのがあったなと思い出しまして。
傾聴ができていない、相手に寄り添って、相手と自分の気を合わせることができていない、つまり、相手を感じることができておらず、コミュニケーションが実は成立していないというとき、自分は相手に対して存在していないのに等しく、相手もまた自分に対して存在していないのに等しいよな・・・ってことに思い至りました。
ああ、これは存在の問題だ・・・と。
相手とコンタクトできていなければ、自分が認識しているその人は、その人自身ではなく、私の思い込みがでっちあげた虚像にすぎないですからね。そのとき私はだれと「対話」しているのでしょう?すごく不気味なことになってしまいます。
どうも、失礼いたしました。
21. Re:こんばんは(^^)
>haruさん
コメントどうもありがとうございます^-^
心を『いまここ』に置いて話を聴く
ことって大事なことですよね。
その繰り返し、積み重ねが信頼関係を
強くしていきますもんね。
彼の話、どうかじっくり聴いてあげてください(笑)
22. Re:実存=関係の関係
>孔徳秋水さん
なるほど、確かに、ですね。
会話してて、その二人ともの心が『いまここ』
にないようなこともありますもんね。
なんのコミュニケーションなのか、ちょっと
不気味というか空恐ろしいことになっちゃいますよね。
多くの場合、話し手は自分の意見・気持ちを
伝えたいから話に集中しますが、聴き手は準備が
整ってないことが多いんですよね。
何か作業中だったり、考え事をしてたり、仕事を
中断されたり、疲れていたり、気分が乗らなかったり・・・
そういうときに、いかに頭を
切り替えられるかが大事ですよね。
僕も最近は切り替えられるようになりましたが、
昔はそれができなくて、おざなりな対応、後で
『あの対応はなかったな~』って自己嫌悪に
陥ってフォローを入れる、ってパターンが多かったです。。。
23. ラポール
この、言語のウラの意識をあわせるって
なんとなく出来るようになった気がしますが
いまいちピンと来てません。
この辺に今、磨きをかけています。
数をこなせば何とかなるのでは?と
思ってるのですが、どうなんでしょ?
24. Re:ラポール
>Faithさん
コメントどうもありがとうございます^-^
数をこなせば何とかなりますね!
人間の器って、『経験・学びの数』なんですよね。
経験の数は行動の数、経験を質のいい学びに
変えるのって、経験の数によるから、
結局は、自分なりに考えて行動する、って
ことの数をこなせばいいんですよね^-^
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