偶然、運命という幻想
2012/02/14 Tue. 20:26:00 edit
これもまた、僕がこのブログを書き綴ってきた
中での大きなテーマの一つです。
過去にもこれを何とか表現しようと何度か
試みてきましたが、やっぱり今ひとつぼんやり
とした表現の域を抜け出すことはできませんでした。
e-Bookの執筆は、このテーマに対する明確な
回答も、僕の意識の中に与えてくれたようです。
この世界のすべての『存在』と『現象』は、
『縁』という関係性、つながりをもって、
お互いがお互いの存在を支えあっています。
『支えあう』というのは、
『影響を与え合う』、『お互いに反応しあう』
とも表現できます。
水素と酸素が触れ合うと、反応して水ができるように、
『存在』と『存在』、『現象』と『現象』が出会えば、
必然的に何らかの『反応』が生まれるのです。
それは、この世界を流転・変化させ続ける
『自然の摂理』という絶対法則に則ったことです。
この世界に起こることは、そういった一つひとつの
ミクロな『反応』が、複雑な『関係性』で
結びついて進行していくことだと言えます。
細かい因果関係を読み解くことは不可能ですが、
そこに『偶然』はなく、すべてが『必然』として起こります。
人間の意識だけが、ものごとの因果関係を
リニア(直線的)に結びつけ、『意味』や
『理由』という概念を創りだします。
『自我というプログラム』がそれを求めるからです。
人間の『思考』や『行動』、
これらもまた、『自然の摂理』に則った『反応』です。
人間の心、意識の中にある『記憶』という情報が、
世界の中の『存在』や『現象』に出会ったときに、
『必然の反応』を生み出します。
人間の顕在意識(マインド)がその『反応』に
気づいていようがいまいが、そんなことには
お構いなく、世界の変化は進んでいきます。
一人の人間の人生に起こることは、すべて、
その人自身の『過去になしてきた無数の選択の結果』
としてやってくる『経験』です。
人間の顕在意識(マインド)は、それらのほとんどを
自覚できておらず、そのため、人間には、自分の人生が
まるで自分の思い通りにならないもののように思えるのです。
つまり、『偶然』も『運命』も、『無自覚の選択』
というものが生み出した『幻想』の概念なのです。
人間は『錯覚の動物』です。
自由意志というものについても『錯覚』し、
自らが無自覚になしている『選択』というもの
に気づかないため、『偶然』や『運命』という
『錯覚』も創り出しているのです。
人間は、毎瞬、目の前に広がる無限の選択肢の中から、
何かを選択し、選択したもの以外を捨てています。
それは、『無限の可能性』を毎瞬の選択によって、
『一つの現実』に変えている、とも表現できます。
そうやって、人生というものは形作られていくのです。
自分が何を選択しているのか、そもそも、
自分の前にはどんな選択肢が広がっているのか、
学んで『知識』を持たなければ、それすらも
認識・自覚することができません。
そうやって『無自覚の選択』をする回数が増えるほど、
あなたの人生は、あなたの意志とは離れていき、
あなたは『偶然』や『運命』といった幻想上の
概念の奴隷となってしまうのです。
『無自覚の選択』とは、別の言葉で表現すれば、
『過去のパターンの中に生きる』とも言えます。
あなたの『選択』、つまり『反応』を生み出すのは、
あなたの意識に貯えられた『過去の記憶(カルマ)』です。
人生が『カルマ』に支配されるとはよく言ったものです。
確かにそうなのですが、『カルマ』は変えられるものなのです。
これは、前世や運命といった、あなたに手の届かない
ところで決められるものではなく、単なる『記憶』です。
『記憶』内の情報は、リフレーミング(思考の枠組みを変える)
すれば、たやすく書き換えられるものなのです。
あなたは、ものごとに対する『解釈』『意味づけ』を変え、
自然の摂理に則って反応する『パターン』を変えること、
つまり、あなた自身の『在り方』『機能』を変えられるのです。
ものごとを正しく理解すれば、その瞬間から、
あなたの人生は、あなたの手に届くところに返ってくるでしょう。
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コメント
1. 無題
錯覚が、心地よいなら、錯覚を正しいと思い込むこともよしでしょうか?
2. Re:無題
>きのこさん
コメントどうもありがとうございます^-^
それもアリだと思いますよ。
すべては『自由』ですからね♪
そもそも人生哲学なんて、
『どんな錯覚を選ぼうか』ってものですしね(笑)
3. じゅえるん@ツイッター
>この世に偶然はなく、すべては必然である。
これ読んだときに、ふと思い出したことがあります。
目覚めた直後に湧き上がった感覚の一つで「過去の出来事の全肯定」がありました。
昨日食べたものですら、いまこの瞬間にたどり着くために 必要なことだったと感じました。
宇宙の仕組みは完璧ですね。
最近思うのですよ。
覚醒者は何故その体験を、話したくなるのかと。
その瞬間の至福感の感動を伝えたいわけでは
ないと思うんです。
変人扱いされながらも、一日に一回はどこかで
目覚め話をしている自分がいます。(笑)
やはりなにかの使命を無意識に感じている結果でしょうか・・( ==)・・・トオイメ
4. Re:じゅえるん@ツイッター
>♪わいん♪さん
コメントどうもありがとうございます^-^
すべての『存在』と『現象』が『いまここ』で在る
ことを支え合っている、ってことですね♪
『宇宙の仕組み』『縁起』『自然の摂理』
呼び方はイロイロですが、なんにしても
『完璧』としか言い様がないですね。。。
覚者が話したくなるのは、ひとえに、
『機能』『在り方』がそうだから、
としか表現できない気もしますね。
衝動や直感に従うと、話さざるを、
発信せざるを得なくなる、って思います^-^
5. 無題
>学んで『知識』を持たなければ、それすらも
認識・自覚することができません。
********
この『学び』というのが、○○という限定されたものからではなくて、
目の前に在る現実、それを認識して、『無自覚』な選択ではない、『意識的な』選択にしていくこと。
そのすべての『学び』から得られる『知識』が大切です。。
そんな感じでいいのかな?
あるところで、
「ネット環境が整っていないような、そのような知識もないような、人々は『恵まれていない』」
という表現を目にしました。
とても違和感を覚えました。
私は、例えば、パソコンも携帯もなくても、本を読まなくても、学び得る知識は、(その意識にもよるのだろうけれど)むしろ、そんな環境の方が無限に広がってそうな感じがしたのです。。
うまく表現できないな~(笑)
いつもこんなですみません(^_^;)
6. Re:無題
>凜さん
コメントどうもありがとうございます^-^
『学ぶ』ってのは本質から言えば
『可能性を広げること』、ですね♪
確かに、テクノロジーや社会環境で『知識』に
差がついてしまうのはしょうがないですね。
この世界は『多様性』でできているので、
『公平』とか『平等』というのは幻想に過ぎないんです。
でも、世界中のどんな人にとっても、
『いま』から広がる可能性は『無限』だという
点では、完全に不公平はない、と言えますね。
誰でもその人にとって『唯一無二』の自分の
人生、自分の物語を開拓していける、ってこと
ですからね^-^
7. 読みました!
ありがとうございましたm(__)m
8. 無題
再会が先月あり、又、違う人との再会があり、どちらも、嬉しい再会です。同じ価値観の人で落ち着く自分がいます。
以前、お金を返してもらえないとコメントし、それから、返信していただき、執着がなくなったから起きたのでしょうか。不思議な気分です。
やっと、今の自分で良いと思えてきました。
2012/02/15 20:42 * edit *
9. Re:読みました!
>☆tomo☆さん
こちらこそありがとうございます^-^
10. Re:無題
>りりーさん
コメントどうもありがとうございます^-^
それは、りりーさんの『在り方』が変化して、
それとともに『人の縁』も変化したってことですよ♪
その感覚、大事なので忘れないでくださいね。
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