カルマは人生の”内”に在る
2012/03/19 Mon. 20:21:00 edit
いわば、人生を新しくスタートすべく、
生まれ変わることだと言えます。
『恐れ』を生み出すのは、あなたが生まれてから、
これまでに経験してきたこと、その中で貯えられてきた
膨大な記憶情報、言葉を変えると『カルマ』と呼ばれるものです。
『個性』、『魂の質』、『運命』と表現されるものは、
すべて、この『記憶情報の在り方』のことだと言えます。
潜在意識の中の思考、いや、思考とすら呼べないような、
純粋な『情報』こそが、あなたの人生に何をもたらすのか、
を決定しているのです。
それは、あなたが認識するあなたの現実を、どう形作るのか、
という意味でもあり、また、
その現実から、あなたが何を経験するのか、
という意味にもなり、さらに、
それらの経験を受けて、
あなたがどう感じ、どう考え、どう行動するのか、
ということまで、すべてが『支配』されているのです。
これが『運命』や『カルマ』と呼ばれるものの正体です。
前世の記憶や経験が作用するわけでもなく、
(自分以外の存在という意味での)神の意志もありません。
言うなれば、自我を超えた本当のあなたが望んで
あなたのもとに運んでくるものを、あなたは人生で経験するのです。
『カルマ』は、自我が形成される、つまり物心がつく
6歳くらいまでの人生経験がコアとなっています。
自我というものは、『世界』、つまり自分以外の存在を
ある程度認識できるようになってから、それらとの関係性から
『自分自身』というものを定義して創られます。
つまり、6歳くらいまでの間に経験すること、
そこからインプットされた情報をもとに、
自分はどういう人間であるのか、という認識が生まれるのです。
必然的に、その時期に最も関わりの深い、
両親との関係が、『自我』というプログラムの
反応パターンの傾向を決めることになります。
自我が生まれて以降は、経験する現実のあるがままを
認識するのではなく、『自我』というフィルターが
かかった状態で、ものごとを認識するようになります。
この『観念』のフィルターを通して経験する現実は、
過去の記憶の中に記録された情報を『再生』している、
と表現することもできます。
自我がある程度確立されて以降は、同じことを経験しても、
その人の『個性』によって、それぞれ違った受けとめ方をするのです。
親に愛されなかった、という記憶情報(カルマ)を持つ人は、
人生の中で接する他の人たちからも、『愛の欠落』という
ものを見出だすことになります。
友達やクラスメイトの何気ない言動を見て、
『自分が愛されていない』という証拠を見つけてしまうのです。
これは、潜在意識下に貯えられた、
『親に愛されなかった』という記憶を、
周りの人たちに投影している状態、と言えます。
これが、記憶の再生、カルマにとらわれたパターンに生きる、
ということです。
このことは、同じ世界を観て、違う現実を経験する、とも表現できます。
このように、潜在意識内の記憶情報は、人生のあらゆること
を決定づける、すべての『種』であると言えます。
ここで、大切なのは、この『カルマ』が人生の”内”に在る、
という認識をもつことです。
もし、あなたが『カルマ』というものに囚われ、
望まない現実を生きているとしても、
そのカルマは、前世やあの世といった、
人生の外側にあるのではなく、
あなたが生きる、あなたの人生の中に存在するものだということです。
このことはつまり、カルマとは決して、
『どうしようもないこと』ではないことを意味します。
手の届かないものではなく、あなたの『行い』によって、
いくらでも変えていけるものだということです。
カルマとは記憶情報、心や潜在意識と呼ばれるものです。
これらは文字通り『情報』によってできています。
そして、『情報』は常に流転変化し続けるもの、
もっと言えば、『循環』しているものなのです。
あなたが、どういうことを経験するのか、によって、
あなたのカルマはその姿を変え続けていくのです。
その中で、コアにあたる部分、つまり、あなたが
物心つく前に経験した記憶は、あなたの人生において
大きな意味を持ちます。
なぜなら、そのコアの部分にこそ、あなたが人生で
克服すべき課題、最も恐れるものが潜んでいるのです。
こう書くと、人によって不公平があるようにも感じられます。
幸せな家庭に生まれ育った人と、不幸な生い立ちを
背負った人では、カルマにも大きな差がつくのではないか、
という疑問が生まれます。
いろいろな考え方ができますが、僕はこう思います。
幸せな家庭に生まれ育った人は、もしかすると、
その幸せを失うことを人一倍恐れるというカルマを
形成するかもしれません。
外からの観え方と、その人自身が経験することには
必ずギャップがあるものです。
そもそも、他人と自分の経験する苦しみの大きさを
比べることなど、できないことなのです。
また、こういった『幸・不幸』というラベルで
測られるものは、単に『起伏の大きさ』を表している、
とも言えます。
細かいことを挙げていけばキリがありませんが、
人生というものは、俯瞰して、トータルで見ないこと
には、判断できないものなのです。
そして、トータルで見たならば、誰のどんな人生も、
すべて正しいものだと言えるのです。
自我というものは、自分を認識・定義するばかりでなく、
他者と自分を切り離し、それを比較する、という
高度なことまでやってのけます。
その高い情報処理能力が、『恐れ』や『悩み』『苦しみ』
を生み出してしまうわけですが、
それらの『恐れ』『悩み』『苦しみ』、
その背景にあるカルマそのものも含めて、
すべてが『自分』だと受け容れてしまうしかないのです。
物心がつき、自我が形成された時点で、
あなたは、あなたとしての人生を生きる、
ということを認めた、ということなのです。
だから、いま、あなたはこうして生きているのです。
そのあなたの存在が、他人と比べてどうであるか、
なんてことは、この世界の何者によっても判断できないことで、
ましてや、あなたの未来がどうなるのか、なんてことは、
誰にも決めつけられることではないのです。
それができるのは、この世にたった一人、あなた自身です。
カルマが人生の”内”にある、というのはそういうこと。
人は誰であっても、自分がどう在るか、どう生きるか、
どういう存在となるのか、を自分自身で決められるのです。
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コメント
1. 記事とは直接関係ないですが
苫米地さんのyoutube動画、全部見ました。
むちゃくちゃ面白かった!
アレについてまた話をしたい気分に襲われている今日この頃です。
記事を見ていて思い出したので、思わず報告します。
2. とてもうなずけます!
難しい事を書いているように
感じる方もいらっしゃるかも
しれませんが、
私にはとても良くわかりました!
自分が小学五年の時に
悟りを開こう開こうと
凄く色々な事について
見つめ直し考え、
悟りを開いたと思えた時が
11歳でした!
本当に開いたのかは、半信半疑ですが、
その出来事、思い出に誇りを持ってます!
3. Re:記事とは直接関係ないですが
>Tsuyo-Cさん
コメントどうもです^ー^
面白いでしょ?
あの人、ぶっ飛んでますが、軸はしっかりしてるし、
本質をついてると思います♪
じゃ、また近々話しますか?
欲求が生まれたときが行動のベストタイミング♪
4. Re:とてもうなずけます!
>ホワイト☆ハルさん
コメントどうもありがとうございます^ー^
最近、ちょっと小難しすぎるかな、と気にしてた
ところなので、うれしいコメントです(笑)
11歳で悟りって、早熟だったんですね♪
そういや、苫米地さんも、何かの著書で、もうじき、
誰もが小学校を卒業する頃には、悟るような時代が来る、
って書いてましたが、個人的には同感です。
これからの数年間で、『悟り』ってものに対する
認識が、大きく変わっていくんじゃないかな、と思ってます^ー^
5. なるほど
ですね♪
親に愛されてない。
その投影しちゃう。
結構多いですよね、そのように受け止めてしまう人。
よしさんはそのように、
親に愛されていないと思って育った人は、
どうやってその愛を取り戻したらいいと思いますか?
6. Re:なるほど
>学びブログ春【心・潜在意識】さん
コメントどうもありがとうございます^ー^
おおっ、ものすごく興味深いネタふりですね♪
じっくりお答えしたいので、また記事にすることにします。
7. はじめまして
はじめまして
この記事すごくいいですね。
解りやすいです。
本質を解りやすくついていて・・・
ありがとうございました~
8. Re:はじめまして
>サオリンさん
はじめまして!コメントありがとうございます^−^
とてもうれしいコメントです♪
サオリンさんの心に響いたようで良かったです^−^
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