時間という幻想
2012/03/27 Tue. 12:54:00 edit
意識の『目覚め』を経験した後、
初めて訪れた明確な『気づき』とは、
『時間』というものに関することでした。
ちょうど一年ほど前のことです。
当時は、自分の中でも糸がうまくつながっておらず、
その『気づき』が何を意味しているのか、
リアルタイムでわかっていたわけではありません。
ですが、一年経ったいま、振り返ってみると、
その『気づき』が、非常に大きな意味をもって
いたということがよくわかります。
ほとんどの人にとっては、『時間が幻想』だと
言われても、なかなかピンと来ないのではないでしょうか??
物心がつき、自我が芽生えた後、人間として
生きてきた僕たちの人生は、常に『時間』の
流れとともにあったように思えます。
ですが、その感覚こそが大いなる『錯覚』なのです。
過去も未来も、人間の進化した脳、進化した意識が
創りだす『錯覚』、記憶の中にしか存在しないものです。
動物や赤ちゃんが、昨日のことを悔やんだり、
明日のことを心配したりするでしょうか?
それどころか、彼らの意識、認識の中には
10分前のことも、10分後のことも存在しません。
ただ、『いまここ』を経験しているだけです。
人間も、彼らと何一つ変わることのない一個の生命です。
生命は、常に『いまここ』に在って、
この世界の変化を経験する存在なのです。
その中で、進化の最先端にある、人間の自我意識だけが、
『経験していないことを経験する』
とでも表現できる、驚くべき能力を獲得したのです。
あなたは、昨日の朝、何を食べましたか?
それを考えるとき、あなたの意識は、
『過去』へと移動するかのように思えます。
ですが、あなたの存在、肉体も心も、
それらが実存するのは『いまここ』でしかあり得ません。
あなたは、自分の脳に記憶された情報に
アクセスしているだけに過ぎません。
記憶と、それにアクセスできる自我意識がなければ、
時間も空間も、人間がリアルに存在すると錯覚している
これらの概念は存在しないものなのです。
生命にとって、『いまここ』で経験している現実
だけが絶対的なもの、そしてそれだけが『すべて』です。
人間の自我意識が創りだす、過去や未来というものは、
記憶の中にしか存在しないものであって、『実存』ではないのです。
『いまここ』にないもの、経験していないものを
まるで実際に存在するかのように経験してしまう、
その驚異的な認識能力こそが、人間の脳、そして意識が、
進化の最先端にあることを証明するものだと言えます。
これは、『心のタイムトラベル能力』とでも表現できます。
一説によると、人間に備わった、過去の出来事を
思い出すための神経系は、記憶作用のためだけに
進化したわけではない、と言われています。
つまり、僕たち人間の脳が、経験したことを『記憶』
するのは、その記憶を貯め込むことが目的ではない、
ということです。
だから、僕たちの記憶は不正確なのです。
確かに、記憶を貯め込むことが目的なら、
こんなにも忘れっぽく、曖昧で不明瞭で、
ときには、いとも簡単に書き換えられ、
改ざんされてしまう『記憶』という能力は、
あまりにも未熟で未発達なものだと思えます。
では、『記憶』という能力は、
なんのためにあるものなのでしょう?
それは、『未来のシナリオを臨機応変に創る』
という目的のためにあるのです。
これは、現状、特定の科学者たちの仮説ではありますが、
真理をついている気もします。
人間以外の動物を見てもわかりますが、
経験から何かを学習する、という能力は、
自然界の中で生き延びるために発揮されます。
それはつまり、『未来の創造』のための能力と言えます。
そして、人類の直系の先祖であるクロマニヨン人が、
他の原生人類種たちから抜き出て、繁栄の道を歩めたのは、
未来に希望をもつことによって、ワクワクできること、
つまり、過去の記憶を材料に、未来のイメージを創る際に、
自分の欲求を満たすような、望ましいイメージを創ることに
よって、『快楽ホルモン』が分泌される、
という生物学的な特質を持つことができたからだと言われています。
人間は、欲求を実際に満たすときだけでなく、
それを満たす『未来』を想像するだけで、
ワクワクすることができ、
それが、『創造の力の源泉』とも言えるのです。
そして、このことこそが、人間が意識の中に、
『時間という幻想』を生み出せる理由、とも言えます。
『悟り』という論点の中で、『時間は幻想に過ぎない』
と言われると、過去や未来、記憶というものに対し、
『意味がないもの』『必要のないもの』
と、否定的にとらえてしまうようなニュアンスもあります。
ですが、そうではないのです。
それは『空観』思想というものです。
人間として生きるのであれば、その『幻想』の中にも
意味や価値を認めてしまっていいのです。
僕が考える『中観』とは、
すべての『幻想』に気づき、それを一度
取り払ってしまった上で、自分の好きな『幻想』を
選び、その中で生きる、と表現することもできます。
もちろん、選んだ『幻想』は、気に入らなければ
いつでも手放して、また新たな『幻想』を選ぶこともできます。
それは、『過去』を好きなように解釈し、
その解釈を材料にして、
好きなように『未来』を創造するということです。
過去や未来は、囚われ、縛られるために存在するのではなく、
自由な選択を楽しむためにあるものだ、ということです。
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コメント
1. とっかかり
時間が幻想だということを思い出すと、
それ以外のことが幻想であることも
思い出しやすくなりますね^^@
2. Re:とっかかり
>るー☆宇宙ゆうびんきょくさん
コメントどうもありがとうございます^ー^
自我を縛る観念の中でも、
本当に根っこにあるものですからね♪
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