恐れは有限、可能性は無限
2012/04/25 Wed. 21:21:00 edit
書いてるのですが、僕のいまのビジョンは、
現実的なスピリチュアル、
依存ではなく自立を生むスピリチュアル、
『悟り』というものの正しい認識、
こういったものを広めたいということです。
『悟り』とは、自他の差を取ること、
自我のパラダイムを突き破ること、
自我を超えた自分の本質を知ること、
自我の『恐れ』を克服すること、
と言えます。
『悟り』と聞いて、大それたもの、
自分にはムリ、自分には関係ない、
と考える時代はもう終わりなんです。
『悟り』は、一部の人たちの権威づけのために
あるものではなく、すべての人にとって、
人生で必ず経験する成長のプロセスとして、
世に広く認知されるべきことだと思っています。
人生で経験する、恐れや不安から解放され、
本来の自分らしさを取り戻し、自由に生きることが、
『悟り』の後に待っている本当の人生です。
不安や恐れは、未知から生まれます。
未経験の世界を恐れるため、人は過去のパターン
に囚われ、『無知』であることを続けようとします。
無意識的に、当たり前のフィルターに隠れたものを
知ろうとしないこと、無自覚なまま生きることを
選択してしまうということです。
真実を知ること、今まで知らずにいたことを
知るということには『恐れ』が伴います。
それを知れば、過去のパターンを変えなければ
ならない、ということに気づいてしまうからです。
ですが、その『恐れ』を克服し、
『覚悟』というものが生まれたとき、
人は、自分の人生の選択と、それによって
受け取るものの責任を100%受け取ることになるのです。
『責任』という言葉にネガティブな印象を
持ってしまう人も、多いのではないかと思います。
それは、世間でこの言葉が誤解され、それが
社会通念という、集合意識内に形成される観念として、
あなたの潜在意識に刷り込まれてしまっているからです。
本当の意味での『責任』とは、
『自由を受け取る』というコミットメントです。
『自分はそれに責任がある』と受け容れることで、
人は、そのことに対する自由を手にするのです。
自由になりたい、自由が欲しい、と考える人は、
世の中たくさんいると思いますが、
そのために責任を引き受けよう、と覚悟すれば、
その瞬間に、あなたは自由を手にするのです。
その『覚悟』を決める際に、恐れという
ものを克服する必要があるのです。
人生経験を積む中で、あなたの心、人間性、人格が、
そして魂が磨かれることで、あなたの『器』が広がれば、
『恐れ』というものは、あなたの人生からなくなっていきます。
『器』とは、あなたが生きる世界の広さです。
無知をなくしていけばいくほど、あなたの世界は広がります。
e-Book【引き寄せの法則の真実】の中では、
『在り方』という言葉で表現しています。
セルフイメージという言葉も同じものを指します。
『恐れ』の克服と『器』の広さは相関関係を
もちますが、一つのポイントがあります。
それは、
『恐れは有限、可能性は無限』
だということです。
『恐れ』を克服するごとに、あなたの世界は
広がっていき、やがてその中で一つの臨界点を
突破することになります。
それが『悟り』や『覚醒』と呼ばれるものです。
『恐れ』の克服、メンタルブロックの解除とは、
自分自身と、この世界を知ること、つまり、
『無知』というものの克服です。
自分の本質を知ったとき、人生における
『恐れ』との戦いは終わるのです。
正確に言えば、あなたが戦いだと錯覚しているもの、です。
その臨界点を突破したときから、
あなたの本当の人生が始まるのです。
それをいつにするのかは、
あなた自身が決めることです。
人生の責任を、自分の手に引き受ける
覚悟ができたなら、その瞬間に、
無限の可能性の扉が開かれるのです。
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コメント
1. すごく、大事
最近のYoShiさんの記事は以前にも増してガツンと共感できます。
むしろ、自分がブログを書くならこのことを書きたい!っていうアイデアを
どう文章にするか考えている間に先に書かれちゃってる感じです(笑)
無意識に無知を選び続けようとすること、責任から逃れようとすること、
どれも自分が大きく変わる直前くらいにすごく感じていたことです。
あと、その裏に潜む傲慢さや臆病さも。
でも当時はそれが悪いこと、愚かしいことのように思えていたので
やっぱり自分は悟れないという確信を育てるための材料にしかなりませんでした。
覚悟を決めるとか責任を100%受け取るというと、
すごく難しいことのように聞こえるかもしれないけど、
恐れがなくなれば
(最悪のケースになってもいいや、とか大丈夫だ、という心境になれば)
責任は100%受け取ってることになるし、覚悟は自動的に決まるというか、
恐れることが無いので覚悟する必要さえないというか、
とにかく恐れを克服できれば誰にでもできることなんですよね。
あああ、話が合って気分の高揚のままに書くとどうしても長くなってしまう。
これはもうブログかフェイスブックのノートを作るしか……!
……長文失礼しました。
2012/04/25 11:35 * edit *
2. Re:すごく、大事
>BIBIさん
コメントどうもありがとうございます^ー^
だって、BIBIさんが見ている僕はBIBIさん自身ですからね♪
ちょっとスピリチュアルなこと言ってみました(笑)
覚悟というか開き直りというか、単なる理解というか、
気づきというか、きっかけはほんの小さな一歩なんですよね。
ブログ or Facebookのノート、書いちゃいましょう!
3. 覚悟と自由
さっきオススメの「損をしない思考法」を買いました☆損得マインドはシェアの発想と馴染まないと思ってたのでYoshiさんが勧めなければゼッタイ買うことはなかったでしょう(笑)楽しみです。
責任を取る覚悟が自由の幅を広げる、というお話ですがスピリチュアル的にも、もう少し詳しく知りたいです。自由があるから責任が取れるというのはわかるのですが。。。Yoshiさんはその逆を説明されてますよね?
ちなみに、ぼくも責任という言葉は大きらいでした(笑)最近は違います。そして自分の中では「つとめ」がより馴染むかなと感じてます☆
2012/04/25 23:10 * edit *
4. Re:覚悟と自由
>れれれさん
コメントどうもありがとうございます^ー^
『損をしない思考法』にしても何にしてもそうですが、
著者の人が、どういう現実を生きているのか?
ということに注目して読むのは、書籍の背景に
含まれた情報を自分の潜在意識の中に取り込むのに
大事なことだと思ってます。
自由と責任は以前から、表裏一体だって思ってましたが、
責任が先にくる、っていうのは、先日聴いてた
ジェームス・スキナーさんのオーディオセミナー
からの影響かもしれません。
つまりのところ、『自由』は束縛から解放される
ことばかりに目がいってしまいますが、
そういう『受動的』なものではなく『主体的』に
手にするもの、ってことなんです。
もう一つ、言葉のニュアンスで表現すれば、
自由とは『求める』ものではなく『手にする』もの。
心の中でコミットすれば手に入るものなんですよね。
これって、『愛』とか『悟り』って言葉にも当てはまりますね。
ふくらんできたので、また記事ネタにストックします(笑)
どうもありがといございます^ー^
5. Re:Re:覚悟と自由
なるほど、「受動的」でなく「主体的」。
>自由は、求めるものではなく、手に入れるもの
にもつうじますね。「求める」という言葉には、表面とは、裏腹にどこか受動的なところが入りこんでいたりしますもんね。ほんとだー
ありがとう御座います
2012/04/26 18:58 * edit *
6. Re:Re:Re:覚悟と自由
>れれれさん
こちらこそありがとうございます^ー^
ブログネタストックとして待機中です♪
7. 無題
この世は格差社会で、人は劣悪な環境で生まれる人もいるし、反対に恵まれた環境で生まれる人もいます。
だから生まれつき、格差社会に比例して思考、つまりはネガティブな思考もポジィティブな思考も格差が存在するというか・・。
恐れを刷り込まれた過去のパターンを変えるのも劣悪な環境で生まれた人のほうが難しいのかもしれません。
恐れは有限というのは希望です。ありがとうございます。
8. Re:無題
>ほのかさん
コメントどうもありがとうございます^ー^
劣悪な環境に生まれる人は、それだけ心を
磨くためのチャンスに満ちた人生を歩む、
ってことなんだと思います。
どうにもならない環境の問題があるように見えて、
人生トータルで見れば、うまく辻褄が合うように
なってるんだと思いますよ^ー^
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