愛と優しさと、甘さと厳しさ
2012/06/05 Tue. 13:30:00 edit
『優しさの反対は厳しさではない』と語りました。
参考記事:『優しさ』とは『甘さ』ではない
これを書いた当時(2010年12月頃)は、
他者との人間関係の中で考えていたことですが、
今では、これは、自分自身との信頼関係にも
関わることだと思ってます。
自分自身に優しくすることと、自分に甘く
接することとでは、意味が違うのです。
『自分を愛する』
ということに関して、自分に甘く接することだと
勘違いしてしまうことも多いような気がします。
スピリチュアルを自分に都合良く曲解してしまうと、
そうなってしまいがちなのかな、とも思います。
自分自身に対して安易に甘くすることは、単なる
『自惚れ』であって『自分を愛する』ことではないのです。
上記の参考記事では、『優しさ』と『冷たさ』が
基本方針なのに対して、『厳しさ』と『甘さ』が
それを表現するための手段だと語っています。
傷つき、泣いている子に対しては、『甘さ』も
必要な場面もありますが、自立させるためには
『厳しさ』も必要です。
他人に対しても、我が子に対しても、そして
自分自身に対しても、過保護に甘やかすのは、
『優しさ』や『愛』ではなく、それを演じている
自分のエゴを満足させるだけの行為です。
『甘さ』とはその場だけを見る視点であり、
『優しさ』とは、相手(自分)の未来の可能性を見ています。
そして、愛や優しさというものは、
甘さも厳しさも包括したものだと言えるのです。
相手(自分)の未来の可能性を見ていれば、
『今』この瞬間に、甘く接するべきなのか、
厳しく接するべきかを正しく判断できるのです。
僕自身が『癒しのスピリチュアル』に薄々感じていた
『違和感』の正体はここにあります。
『自己肯定』と『自己受容』は似て異なるものです。
自己卑下や自己否定の傾向が強い人は、
自己肯定感を身につけることを目指すのではなく、
『自己受容』を目的とすべきなのです。
『自己受容』とは文字通り、自分自身の
いいところも悪いところもすべて包括して
認め、受け容れることであり、
自己肯定とは意識レベルのステージ自体が違います。
単に、自分を好きになることや、自分に対して
妥協してしまったり、あきらめたり、
自分とはこんなものだ、と決めつけることでもありません。
たとえば、コンプレックスを持った人がいます。
身近な人でも自分自身でもいいので、
思い浮かべてみてください。
その人に対して、
『コンプレックスを持ったあなたも素晴らしいんだ』
という言葉をかけて、果たして、本当に
その人の心に響くでしょうか?
自己肯定とはこういうものです。
いわゆる『ムリポジティブ思考』ですね。
こういう言葉をかけられて生まれるのは、
『自分は理解されていない』という感覚や、
『ああ言ってくれているのにそう思えない自分はダメなやつだ』
という自分を責める思考です。
これは、コンプレックスなど、ネガティブな部分
から目をそらし、見て見ぬ振りをしてごまかそうと
しているのと変わらない行為なのです。
では、『自己受容』、他者への受容とはどういうものでしょう?
『そうか、そういうコンプレックスがあるんだね』
『それがあなた(自分)という人間なんですね』
『そういうことにストレスが生まれてしまうのが、
偽らざるあなたという人間なんですね』
と、認めて受け容れてしまうことです。
それが、『いい』とか『悪い』とかいう
判断は不要なのです。
人生の中で何らかの課題を抱えた人が、
『その課題は幻だ、気にするな』とか、
『課題があっても素晴らしいじゃないか』
という言葉をかけられて、本当にその人の
心は救われるのでしょうか??
それは、あまりにも『人の心』というもの
に対して鈍感に過ぎると思います。
課題は課題として認める。
でも、その課題の向こうには、成長した
その人(自分)自身がいることに気づかせること、
そして、その課題は自分の力で乗り越えられる
ものだと気づかせてあげること。
それが、本当の意味での『優しさ』であり、『愛』です。
ここまで、便宜上、他者に対してと自分に対して、
同時に話を進めてきましたが、優先すべきなのは自分です。
自分自身に対して、本当の『愛』や『優しさ』に
目覚めていない人は、他者に対して本当の意味での
『愛』や『優しさ』を与えることはできません。
自分自身との信頼関係(自信)を良好にできていない人が、
他者を信じ、信頼関係を築くこともできません。
なので、まずはあなた自身のことを考えてみましょう。
あなたは、あなた自身に対して、厳しくし過ぎていませんか?
それとも、安易に甘やかしてばかりになってはいませんか?
あなたはあなたの未来の可能性を本気で信じて、
ときには厳しく、ときには甘く接する、という行為を
通じて、あなた自身への『優しさ』を表現していますか?
未来の可能性、つまりは『成長』という視点に立てば、
それなりの『厳しさ』も必要になってきます。
『厳しさ』は人格、魂、そして人生を磨くもの、
なので、通常は『厳しさ』メインで、時折
『甘さ』も与える、というのが本当の『優しさ』
ではないかと思いますね。
地球がすべての生命に与えている『優しさ』も
そういうものなんじゃないかと思います。
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コメント
1. こんにちは
やっぱりyoshiさんはすごい!私に書いてくれました?(笑)
2. Re:こんにちは
>ハッピーさん
コメントどうもありがとうございます^ー^
タイミングが良かったみたいですね♪
3. 無題
ふかく うなづけます。
最後は真ん中が良かとです(^-^)
2012/06/05 21:11 * edit *
4. Re:無題
>麻美さん
コメントどうもありがとうございます^ー^
共感して頂けてうれしいです♪
5. ふかぶか
うなずきます。
あと、
>相手(自分)の未来の可能性を見ていれば、
ここすごいポイントですよね!
ぼくの角度で表現すると
「存在の本質そのものを感じたうえで、それを見つめる」
っていう感じでしょうか。
阿部さんが、常々「大丈夫だよ」っていうのと似てるのかな。
6. Re:ふかぶか
>あいきみらいさん
コメントどうもありがとうございます^ー^
そう、今現在のその人だけを見て接するんじゃなく、
過去も未来も包括した『いま』のその人を観て
接することが『優しさ』であり、『愛』なんですよね。
『いま』=『存在の本質』とも言えますよね♪
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