終わりなんてない
2012/07/04 Wed. 09:54:00 edit
この言葉には、『知る』『わかる』『理解する』と
いった意味合いが込められていますが、人生において、
『すべてを悟る』なんて状況はあり得ないのです。
だから、人生の中で究極の『悟り』とも言える、
『解脱』を求めるのは、ある意味、ナンセンスだと言えます。
すべての執着から解放され、涅槃の世界、
全体意識の海の中に溶けていくこと、
これは、言い換えると人間という、
一つの個体としての『死』を意味します。
生命であれば、どんなものにも等しく訪れるもの、
求める必要のないものを求めてもしょうがない、
ということですね。
人生の中で、すべてを『悟る』ことなんて不可能です。
全体に対する部分である『自我意識』、
マインドがすべてを理解できるはずがありません。
ソースとつながればそれが可能だ、と思う人も
いるかもしれませんが、人間としての営み、
リアルな日常生活を送る上で、
そういう考えは『現実的』とは言えません。
そもそも、人としての幸せを手にするのに、
『すべての理解』が必要なのでしょうか??
そんなことはないと思います。
『悟り』という言葉の響きに囚われて、
経験していないことを、経験したかのように語り、
わかったつもりになってしまうのも危険なことと言えます。
恋愛というものを経験し尽くしたわけでもないのに、
『しょせん恋愛なんてものは、、、』と語ったり、
本当にお金から解放されるというレベルで
お金を稼いだこともないのに、
『お金がすべてじゃない』
といったことを語るのは浅はかな行為です。
大体、月に200万円くらいの収入があれば、
日常生活で、値札を見ずに買い物ができる、
ということがよく言われます。
そのレベルを実際に経験してみないことには、
自分がいかに、普段の日常の中で『値札』に
支配されて生きているのかを知ることはできません。
自分が経験したことのないこと、
見たこともない自分にとっての未知の世界を、
今の自分の限られた想像力の中だけで判断し、
何らかのラベルを貼ってしまうことは、
他者の『世界観』を軽んじることにつながります。
自分の過去の経験、記憶の世界だけを絶対視し、
他人の経験、そしてそれによって創られた世界観を、
自分の狭い世界の中の尺度で判断する、ということです。
実存の世界、この現象世界では、『経験』こそが、
もっとも尊いギフトだということができます。
一個の生命体として、すべてを経験することなんて、
初めからムリなのはわかってます。
でも、『経験』を重ねることで、一つひとつの
『経験』の中から、本質(エッセンス)が抽出され、
この世界の本質がどんどんと浮き彫りになってくるのは確かです。
人のマインドは、自然作用として、『経験』して
いないことまで、『想像力』で補おうとします。
ですが、その『想像力』は、過去の経験で
創られた世界観の中でしかはたらかないのです。
自分の世界観を広げることなしに、ただ徒に
『想像力』だけを駆使していると進化はありません。
『悟り』はゴールではないのです。
ゴールだと思った途端に、その人の成長は止まります。
『悟った人』とは、自我、これまで生きてきた中で、
自分の本質だと思っていたものが壊れてしまうこと、
それが無くなってしまうという、
『人がもっとも恐れること』を経験してしまった人だと言えます。
臨死体験によってそれを実際に体感する人もいれば、
人生の低迷期に、マインドのループにハマって
それを経験する人もいます。
また、瞑想によって、思考の抽象度が上がりきり、
自我を隔てている『分離意識の壁』を越えてしまう
ことで、それを経験する人もいます。
『恐れ』の究極を経験してしまうことで、
自我(エゴ)と他者、自分以外の世界のすべてとを
隔てている『分離意識の壁』が取り払われます。
『分離意識の壁』とはメンタルブロック、
つまり、『恐れ』そのものです。
自我意識の中には、幾層にもわたって、
こういう『壁』が存在しています。
一つの壁を乗り越えて、それが取り払われると、
そこから世界が広がり、同じレベルの壁、
つまり、恐れや不安には悩まされなくなります。
これは、『慣れ』や『習慣化』、
コンプレックスの克服、といった経験として、
誰もが実感できることだと思います。
だから、人生においては、できるだけ早いうちに、
大きなレベルの経験をしてしまった方がいいのです。
たとえば、チマチマと借金するのではなく、
若くして数億円の借金を経験すれば、その後の人生で、
『借金』というものを必要以上に恐れなくなります。
幼くして、『世界レベル』を経験したスポーツ選手は、
自然に『世界レベル』の選手に成長していきます。
大小に関係なく、すべての経験は一切ムダにはなりませんが、
大きな経験を重ねていった方が、この人生の中で、
より大きな世界を経験できることは確かです。
人生の時間に『限り』があることは否定できない事実でもあるのです。
だから、僕は常に、失敗を避けるのではなく、
進んで失敗を求めることを選択すると決めています。
以前の記事にも書きましたね。
一年と少し前の記事です。
参考記事:失敗コレクターになろう
僕も、失敗が怖くないワケじゃありません。
ただ、理性レベルで恐れを克服する術を知っているだけです。
そして、失敗こそが『宝』だと知っているだけなんです。
この人生の中で、一体どれだけの『宝』を発見できるのか?
『悟りたい』と思って生きるよりも、そういうワクワク感
を求めて生きることの方が、ステキだと思いませんか??
僕はそう思いますね^ー^
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