僕らは争いたいワケじゃない
2012/08/22 Wed. 09:25:00 edit
やり取りをシェアさせてもらいます。
興味深く感じる方も多い話題なんじゃないかと思います。
〜引用ここから〜
わたし、すっごくすっごく金山さんに
意見を聞きたいことがあるんです。
それは、近頃の韓国や中国の領海侵犯・
不当占拠といったニュースなんですが、
金山さんはどう思われますか?
わたしは、これらのニュースにすごく
反応してしまって、自分で辛くなるので、
観ないように、あまり考えないようにしてます。
どうやって考えたら自分が楽になるのかも
考えるんですが、私には関係ないことだと思って
自分の視界から観えないようにしても、
その出来事が無くなるわけでもなく。
ここは日本の領地だとして自衛隊を配置したら
良いと思うのですが、昨日の終戦記念日を迎えて、
戦争は嫌だなと。
かといって盗られるままも嫌だし・・・と
ものすごく葛藤しています。
分かってます。
私の人生の出来事ではないのですが、
でも私の心の一面ではあるので困ってるんです。
そこで、スピリチュアル的にも悟ってる人たちって、
どう考えてるんだろうと聞きたくなったんです。
もし良ければ、聞かせて頂けませんか?
お忙しい中、くだらないことでごめんなさい。
よろしくお願いします。
〜引用終わり〜
このメールに対して、僕がお返しした
メールも引用しておきます。
〜引用ここから〜
おはようございます、金山です。
メールどうもありがとうございます^ー^
僕は、自分が生まれ育った日本という国
のことは好きですが、でも、『国』という
ものには縛られずに生きています。
日本という『国』の存在を考えたとき、
国土や国民、目に見えるものだけに
囚われる必要はないと思うんですよね。
人間の存在が、肉体や心だけに依存するわけ
じゃないのと同じで、日本という国も、
関わる人たちに共有されてるもの、ですよね。
ちょっと抽象度の高い考えなので、
実感はわきにくいかもしれませんが。
人が亡くなっても、その人の存在は、関わる人
たちの心や現実から失われないのと同じで、
モノや、『国』という概念も、一度存在したものは、
カタチに依存せず、関わる人たちの存在に
映し出されて共有され続けるものなんです。
所有や分離のパラダイムに囚われてると、
目に見えるものの増減とか優劣に
一喜一憂してしまいますよね。
自衛隊に守ってもらうとか、外国人を敵視する、
ってのは、まさしく自我の壁を固くして、
エゴを強くするような行為だと思ってます。
国土や国益が損なわれると、まるで自分の中の
何かを奪われたような気持ちになってしまいますが、
それはただの『思い込み』であり『幻想』なんです。
国や組織と同化してしまってると、そういう
思い込みを強くし、結局『組織のエゴ』に
利用されてしまうんです。
第二次大戦中の悲劇も、現代社会の自殺者、いじめ、
なんかの問題も似たような構造だと思ってます。
大切なのは、個人が『自立』することだと思います。
日本人としてのアイデンティティをしっかり
持った人が、海外でたくさんの人と関わりながら
活躍すれば、それが日本という国の、本当の意味
での国益になる、と思ってます。
このお話、返事を書いてるうちに興味深くなってきたので、
また改めて、ブログ記事にでもして考察してみることにします。
興味深い投げかけをどうもありがとうございます^ー^
〜引用終わり〜
で、ここからがまた、大事なことなんですが、
テレビや新聞、ネットの情報にしても、
表向きに報道されていることのウラには、
必ず、何ものかによる、何らかの『意図』
が込められている、ということです。
『何ものか』というのは、特定の個人や
団体に限らず、『集団意識』という実体の
ないものの場合も多々あります。
大切なのは、目に見えるものだけに囚われず、
背景にある情報(コンテクスト)を意識する、
ということです。
領土問題、国際的な嫌悪感、愛国心を煽ること、
これらの話題は、人々の心に届きやすく、
そのために、一部の人間の権益のために、
多数の人々をコントロールするための、
いわゆる『プロパガンダ』によく利用されます。
こういう構図は、人類の歴史を振り返れば、
いくらでも観えてきます。
かといって、上にも書きましたが、これらが、
特定の『何ものか』による陰謀だと考えるのも、
短絡的な思考だと言えます。
そもそも、こういう社会通念的にデリケートな
話題というものは、根底の部分に、
『他人を敵視し、エゴの壁(分離意識)を強化する』
というワナが潜んでいるんです。
『特定の何ものか』によるものではない、
というところが、また一つのポイントです。
人類の意識は、まだまだ進化の途上にあります。
個々の未熟な意識が寄り集まって、
『組織のエゴ』ができあがり、
『集団意識』として、非人道的な考えに
人々が支配・コントロールされてしまうのです。
こういう、人の心が本来持つ危険性のことは、
仏典でも聖書でも『悪魔』とか『サタン』とか
いう言葉で説明されています。
個人的に、感情が反応してしまうのは、
自我の習性として、しょうがないことです。
でも、それを過剰にふくらませ、
他人を巻き込んでいくことこそ、
それこそ、『悪魔』たちの思うつぼだ、ってことです。
一人ひとりの人間は、本質的に、
必ず『良心』というものを持っているし、
人の痛みというものも理解できるものです。
僕らは争いたいワケじゃないんです。
それが、『集団意識』の一部となり、
『組織のエゴ』に取り込まれると、
恐ろしいほどに、他人(敵と認識するものたち)
に対して攻撃的になり、冷酷・残酷にふるまえるのです。
こういったメカニズムで起こる悲劇は、
もう十分に繰り返されてきました。
人類は、もうそろそろ学んでもいい頃だと思ってます。
奇しくも、つい昨日、和佐大輔さんが、
Facebookで興味深いことを語ってました。
こちらも引用しておきますね。
〜引用ここから〜
僕が思うには、やっぱり、
「誰と関わって生きていきたいか?」
という「愛」が重要だと言うこと。
そう言えば、この話しは2010年に横浜で
800人を集めてセミナーした時にも話したなぁ(笑)
僕は「愛」とは、関係性だと思っている。
要するに「関係していたいかどうか」
これが、愛しているかどうかで、その意味で言えば、
僕が積極的に関わるもの・ことは全部「愛している」と言える。
ちなみに、世界的なアイデンティティの喪失の反動は、
他者への拒絶を生み、疎外を生み、いじめを生み、
「攻撃する」という形で現れている。
つまりは、
「他者を拒絶する人間ほどアイデンティティが無い」
ということだ。
「何かを拒絶する=私は存在する」という方法でしか、
自分の生きている実感を感じられなくなると、
これはもうかなりヤバい(苦笑)
居酒屋で上司の愚痴に花を咲かせるサラリーマンとか、
モンスターペアレントとか、いじめとか、クレーマーとか、
身近なところで顕在化しているのがまた怖い。
愛して行こうぜ(笑)なんてね。ちょっとキモイな(苦笑)
〜引用終わり〜
『組織のエゴ』という悪魔に乗っ取られないためには、
『個の自立』、
つまり、アイデンティティを確立すること、
表現を変えれば、『愛を知ること』、
本気で『関係』すること、
これがポイントではないでしょうか??
世の中には、まだまだ『悪魔のワナ』が満ちています。
『心の自由』と『情報リテラシー』がないと、
こういうワナにカンタンに引っかかっちゃうので、
注意が必要ということですね。
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コメント
初コメ!ゆみこだよー(。・ω・。)ノシ
分かるかなー…?
こういうのはとても興味深いです。世界で起こる出来事の何にフォーカスするかは各々の持つ観念とかに関係あるんでしょうか?私は戦争(核兵器)には反応しますが原発はわりとスルーだったりします…同じ核なのに。
いまは全然テレビ観ないので世界で何が起こってるかさっぱり分からないですが、この記事読んでて何かに感動したみたいで泣きそうになりました(笑)
あと、いじめは犯罪だ!罰するべきだ!とか言う大人達が私の色メガネでは悪魔に見えます。大人が…子供を裁くなんて。
発想が恐ろしすぎてちびりそう><←
超個人的な意見ですみません…
2012/08/22 11:21 * edit *
Re: タイトルなし
>ゆみこさん
一瞬戸惑いつつもすぐわかりました^ー^
なんか妙に新鮮な感覚です(笑)
コメントどうもありがとうございます♪
そうですね、その人の持つ観念によって、引っかかりというか、
フォーカスが吸い寄せられるポイントは確実に変わっちゃいますね。
これも言ってみれば『カルマ』って言葉で表現できますが、
もっとカンタンに言えば、『生い立ち』とか『境遇』
ってやつですね。
そもそも、人が人を裁くってとこに矛盾がありつつ、
社会的な動物なので、何らかのルール、規律も必要で。。。
それを個人の信条とか神さまに与えられた
戒律に委ねるのが、スピとか宗教で、
法律とか罰則とかに委ねるのが、
俗世間の社会的なシステムで。
でも、ソーシャルメディアの普及は、そういった
旧来のモデルではなし得ない、人の『良心』が
はたらくのに最適な環境を生み出しつつある気がします。
タブレットPCとかスマホとかって形で、これだけ
生活の中で、SNSによって他人が身近に感じられる
ようになることで、『良識』というものが、
人間社会にとって必須のものになりつつあるように思います。
『良識を持った他人の目』を身近に意識できていれば、
誤った道にハマることも、そこにハマったまま
気づかないままでいることもないと思うんですよね。
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